宮島の自然が育てる野菜と物語
2023年03月17日
先日、広島の宮島で中岡農園を営む山本ファミリー(悟史さん、千内さん、千草ちゃん)が遊びに来てくれました。山本さんの宮島野菜と、禾のお米・卵を物々交換をしていて、毎春宮島にいったり蒜山に来ていただいています。写真は昨春の宮島。美しい桜と、山本家にすっかり溶け込んでいた息子が印象的でした。
本来は一泊していただく予定が、私が風邪の病み上がりでやむなく日帰りでの滞在になりました。いつもより短い時間に私はボーッとする瞬間も多く、なんでこんなときに…!と残念でなりませんでしたが、それでも思い出深いことがたくさんあったので、書き残したいと思いました。
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昨年の夏。一羽の鶏が卵を温めているのを妻が見つけて、どうなるんだろうと実験的に見守っていたところ6羽の雛が産まれました。1年ぶりの雛たちは本当にかわいくて家族みんなで大はしゃぎでした。ただ我が家の養鶏サイクルでは難しいこともあり、前々から鶏を飼いたいとお話されていた山本家に引き取っていただきました。2週間の短い夏の思い出でした。
あれから半年が経ち、我が家では鶏をみんな絞めて、たくさん残しておいた卵もちょうど無くなった頃、宮島に移り住んだ鶏たちは産卵をはじめていました。山本さんが持ってきてくれたその卵を見たとき、すごく不思議な気持ちになりました。終わったはずの命が、自分たちには見えていなかったところで続いていて、なんというか命の境界線の曖昧さみたいなものを感じました。はじめましてとおかえりを一緒に言いたくなりました。
そしてもう一つ。数年前、山本さんがお客さんに禾のお米をおすそ分けしてくれていました。その方はそのお米をすごく気に入ってくれて、それから産まれたお子さんの名前に「禾」の字をつかってくださったそうです。「私たちも最近それを知ったんよ〜」と笑顔で教えてもらったとき、私はちょっと言葉に詰まりました。うれしい気持ちと畏れ多いような気持ちになって、どう答えたらいいのかわからなくなりました。
それから数日間このことを考えていて思ったことがあります。私は、自分なんてほんとにまだまだなんです、という表現をよく口にしていました。謙虚とかではなくて実際にそう感じるし、周りから見ても実際そうだと思うんです。でも、そういうのはもうやめなきゃいけないような気がしました。現実がどうあれせめて姿勢だけでも、背筋を伸ばして凛としていなきゃいけない。いつか会えたときその子に恥ずかしくない農家でありたいと思ったことを、こうして書き残しておきます。
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2年前につくった冊子『ぼくたちは夏に味噌をつくる』にも記した通り、藤原みそこうじ店さんと始めた「はじまりの味噌」という取り組みも、そのきっかけは山本さんでした。農家としても人としても私から見れば大先輩ですが、いつもいつも、あっちゃんはすごい、りょうくんはすごい、と私たちの存在をまるっと包み込んで背中を押してくれます。一緒に過ごせる時間は短くても、節目節目でたくさんの小さな感動を共有している家族のような感覚があります。また来年会えるのを楽しみに、一年のはじまりを告げる春の一日でした。
そんな大好きな中岡農園さんが最近また野菜の定期便枠を募集されるそうです。ぜひご覧になってくださいね。
今年もどうぞお米をつくってくださいとお願いする
2023年03月08日
雪もすっかり溶けてきて、はじまりの冬が終わろうとしています。田んぼも山も視界に映るものすべてが白く染まって、どう考えても抗いようのない大きな自然の営みの中に、この一瞬を生きているんだなと身をもって感じる季節でした。
私は米農家でありつつも、これは自分がつくったお米なんだとどうしても思えませんでした。年数を重ねるうちにどこかで身につく自信が足りていないだけだと言い聞かせてきましたが、4年目を終えてもこの気持ちは変わりません。それが先日ふと、自分がつくるわけではなく自分は環境を整えることに関わって、あとはお願いする立場にいるんだと、そんな言葉がわいてきました。いやでも農家としてこんなこと言ってていいのかな、と心配にもなりましたが、いまの私には一番納得感のある素直な表現だと思いました。
すごくふつうの話だけど自然の循環がすべての先にあります。季節が次に次にとめぐっていく力があって、それは自分が生まれるずっと前からあって、そして自分が死んでからもずっと続いていきます。その雄大な動きにあわせて、できるだけ上手にタイミングよく、自分がほしい実りの種をそっとおろして、その成長にあわせてささやかな関わりを続けていくこと。それが自分の農家としての仕事の本質です。これを言えてとてもすっきりしました。
古来から稲作が祈りと近い関係にあったことを、私は心のどこかでそれが原始的で理性に欠ける営みであるように感じていました。でも自分がずっと抱えていた違和感を突き詰めた先にたどり着くのが、ここであったのかと驚きました。
先日読んだ『気流の鳴る音』という本に「原生的な人類が文明化された人間には信じられないほどの視覚や聴覚を持っていたことはよく言われるが、そうした退化が自然や宇宙、人間相互に対して、失ってきた多くの感覚の氷山の一角かもしれない」といったようなことが書かれていました。
きっと本当にその通りで、いまの私には到底想像もできない感覚で世界と接していて、夜空の星を眺めて星座や物語を生みだすことも、祭り祈りそこに神を見出すことも、その人たちにとっては紛れもない眼前の真実であり、そしてそれはいろいろな感覚を失い知識で肥大化した私には見えていない本質だったようにも思えてきます。
春の芽吹きをそこかしこで見つけます。今年もたくさんの汗をかきながら私は私の祈りを捧げます。
写真/藤田和俊
今年のもち米と来年のお餅
2023年03月05日
先日、お取り扱い販売店さんに最後の発送をして、今季のお餅の販売が終わりました。ノートを読み返すと昨年の5倍ものお餅をつくりお届けしてきました。びっくりです!手にとってくださったみなさま、お店のみなさま、そしてお餅をつくってくれたのぎ屋の田村家にも心から感謝です。私たちも冷凍庫にストックを用意できたので来年の冬まで安心です。
そして、もうひとつ。お餅シーズンを終えたこれからは、もち米の使用量が減っていきます。これからもきちんと管理して販売を続けますが、昨年の感覚だとすべて売り切れることはなさそうだなと考えています。
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実は禾として農作物が次の収穫まで(きっと)売れ残るのは初めてのことです。ありがたいことに毎年たくさんの方に支えられ、すべての農作物をお届けしてこれました。私のふわっとした感覚の話ですが、生産力の伸びとお届けしていける力の伸びとが今までは不思議とバランスがとれていましたが、4年目の今年は生産力がグッと伸びたのです。
いつかこういうときも来るだろうとは想像していましたが、いざ直面するとなかなか複雑な気持ちです。販売という観点では売れ残ってしまうだろうことはやっぱり悲しいし、お米にも申し訳ないです。一方で生産量が増えたことは純粋にうれしいし、今まではずっと無くなってしまってすみませんとお伝えしていたので、なんだかやりきったような感覚もあります。
そんな両極端の想いが頭の中をぐるぐると巡りつづけ、それで、ふと思ったのです。そもそも古米って良くないんだっけ?古米でつくったお餅っておいしくないのかな?と。うるち米についていうと、実は秋から冬にかけて我が家の食卓では古米が中心になります。年間購入用にそれなりの余裕をもってお米を残しているので、秋の新米を何度か味見してからは、その残ったお米を食べています。ササニシキの古米はなんというか、しみじみとした慈悲深さを感じて、個人的にはけっこう好きな味わいです。だからもしかしたら古米でつくったお餅も、これはこれでいい!となるかもしれません。これこそがアウフヘーベン!(?)と、思い立ってから気持ちが楽になりました。
今年も小さな面積でもち米をつくるので、新米のお餅か古米のお餅か、きちんと選んでいただける工夫を考えられたらと思っています。秋までは時間があるので、もしかしたらこれからたくさんご要望があって無くなるかもしれません。それはそれでやっぱりうれしいです。でも、そうでないならないなりに、まっすぐ向き合って、素直に正直に、楽しく豊かな気持ちでご提案ができたらいいなという心の表明です。
写真/藤田和俊