5年目の、初めての古代小麦

2023年07月25日

先週、無事に古代小麦の収穫を終えました。50グラムから始まった小麦栽培は5年目にして322キロになりました。いつもは量が多くても少なくても(多いケースは稀ですが)、あまり言葉にしないようにしています。それでも今回ちゃんとした数字を書いたのは、きれいな小麦がつまった30キロの袋が10以上もできたことが、とてもとてもうれしかったからです。

 

この古代小麦は私が育てている作物のなかでも最も大きくて、私も少し見上げるくらいの背丈になります。例年7月初旬ごろに大風が何度か吹いて、そのたびに倒れてしまっていました。でも今年は今までで一番力強く育ったにも関わらず、ほとんど倒れることもありませんでした。地中にしっかりと根を張ってくれたのだと思うし、その根はきっと次の作物のためにもなってくれます。

 

いま禾は畑を3つに分けていて、大豆と麦(大麦・小麦)を毎年収穫できるようにぐるぐるまわしています。連作できれば2つに分けるだけでよいので管理も楽だし、連作できない植物ってどういうことなんだろうと疑問にも思います。この数年で連作を試した大豆と大麦は生育が悪くなり草にも覆われてしまったので、今のところはこの三分割にしていますが、畑の土が変わっていった先にまた違う世界が見れたらいいなぁと思っています。そういう意味でも古代小麦にはとても期待しています。

 

この古代小麦についてメモを読み返していたら、50グラム→500グラム→1.5キロ→17キロ→322キロと増えていったようです。最後の17キロになるまではすべてが手作業でした。種を蒔いて、鍬で土を寄せて、鎌で刈り取って、干して、脱穀して、穂から粒をひとつずつ取ってと。それなりに手間も時間もかかる正直にいえばちょっと面倒くさい作業でした。3年目に3倍にしか増えなかったときには諦めそうにもなりました。

 

そもそも、なぜこんなに小さく始めたかといえば古代小麦の種を譲っていただけるツテも無かったし、種子の販売も少量ずつしかなかったからです。それでもなんだかおもしろそうだし、時間さえかければ自分で種を増やせるんじゃないかなという軽い気持ちでした。それがまさかこんなに時間がかかるとは。何も知らない1年目だったからできたのかなと思いつつ、ちょっとだけ農業を知ってきた今でも、これからも、変わらずにこんな面倒くさいことを厭わない自分でありつづけたいなとも思いました。

2023年は大豆の年ということ

2023年07月04日

夏の農作業は体中心です。汗と雨と泥にまみれながら、空いた頭でいろいろなことを考えますが、就農5年目の今年はきっと大豆の年なんだと思いました。そんなお話です。

 

 

まず、冬に大豆の収穫用に小さな汎用コンバインを買いました。

今まではずっと先輩農家さんたちの機械を借りていましたが、申し訳ないなと思っていました。かといって自前で持とうにもお米用のコンバインと違って台数も少なく中古市場でもあまり見かけず、あっても100万以上のものばかりでした。私たちのような小さな農家には大豆収穫のためだけに用意できる額ではありません。それで、不本意ではあるけど大豆の作付面積を1〜2反ほどに減らして、手作業で刈り取り・脱穀をする小さな機械をそろえようかと考えていました。そんな悩みを聞いてくれていた移住仲間の方が、福井の中古農機具屋にいったとき、機械の山から小さな汎用コンバインを見つけて、それを私に紹介してくれました。25万円、それも簡単に出せるものではないけれど、やっていくんだと覚悟を決めれば出せる額でした。収穫物を直接排出するのではなく袋どりになっている型で、すこし手間がかかるけれど、自分の身の丈にあっているような気がしました。なにより、自分たちのものであると思うと愛着もわきます。

機械を買ったら次に困るのは倉庫ですが、お借りしている3つの倉庫は他の機械設備でパンパンです。商店を営む地元の方に相談してみたところ、隣の倉庫がきっと空いているから家主が帰ってきたら話をしてやると言ってくれました。それから数ヶ月、家主さんが帰ってきたときにすぐ話をつけてもらえました。何年もつかわれていない埃がたまっていた倉庫を掃除して、空気を通して、今更だけどシャッターの高さ足りてるんだっけ?と心配になりながら、息子がわくわく見守る中そーっと機械を入れました。ギリギリすれすれだけど大丈夫でした。汎用コンバインはバネが壊れていて脱穀部のベルトが回らなかったり、備え付けの網が大豆ではなく蕎麦用だったりでしたが、すこし手を入れれば十分につかえそうで安心しました。せっかくだから蕎麦や菜種も育ててみたいなと思いましたが、それはもう少し先の夢です。

 

それと今年は大豆の品種を増やしました。

今まではサチユタカという地域の奨励品種を育てていました。地元の農協で種を購入しそれからはずっと種をとっています。いい大豆ですが、岡山の在来種も育ててみたいと思って、「日の丸大豆」という赤と白のきれいなくらかけ大豆を見つけました。山形の農家さんに緊張しながら連絡をしてみて、とてもとても優しい方で、貴重な種をすこし分けていただきました。ちょうど一回り先輩で、同じ兎年の方でした。

それから、この「日の丸大豆」が岡山の在来種ってどこに文献があるんだろう?と、記事や論文を探しましたがよくわかりませんでした。どうしても気になったので研究をされている方に連絡すると、その方もやっぱりわからなくて、せまい地域にだけあったような昔の話を見つけるのは難しいですね。その方もとても優しい方で、あれこれやり取りをさせていただいた後に、17種類の在来大豆の種を送ってくれました。「ちょっと見繕って送りますね」と電話で仰っていて、2〜3種類くらい頂けたらうれしいな〜くらいに思っていたので、届いた段ボールを開けてびっくりしました。冷蔵庫に入れておけば来年でも蒔けますよ、とメモにはありましたが、いただいた種は蒔いてみなきゃ!と空いていた小さな小豆畑に急いで蒔きました。2本の紐をひいて直線と50センチの条間を出して、半月ホーで土に線をひき、そこに2〜3粒ずつ20センチ間隔で入れて、また半月ホーで土を寄せながら踏み固めていく。田植えも大豆や麦の播種も機械作業なので、こうした手作業をする機会は少ないです。でも農業の原点です。それぞれの大きさも形も手触りも違って、大豆の多様さに驚きました。

 

 

最後に、サチユタカは今年も8反ほどの作付面積です。生育はまだよくわかりません。播種前の畑の管理はタイミングを何度か逃してしまったものの、播種自体は悪くない出来でした。発芽もそれなりにそろったし、電気柵もすぐにつけられました。それでも、ひょいと出てきた芽はシカにぱくぱく食べられて、1回目の土寄せも相変わらずのいまいちな精度でした。5月の終わりごろ、耕運機で一筋ずつ土寄せするのは大変だから、トラクターにつけて速くまとめてできる機械を買えないかなと、妻にも相談して探してもらったのですが、コレと決めきれませんでした。6月の晴れが続いて土がよく乾いた日に、一日かけて土寄せをしながら思ったのは、そもそも自分の技術や感覚が未熟だということです。その作業はもちろんだし、播種前の畑の状態で決まっていることも多いです。春に整えきれなかった畑は土寄せの効きもいまひとつです。だからいま機械を変えても、たぶん根本的には良くはならないなと改めて感じました。もっと上手になりたいです。

 

先日、毎年大豆を扱っていただいている方から、とてもありがたいお話を頂戴しました。どうお礼をすべきか悩んで、ひとまず今はこんなことを考えてやっていますとご報告を書きました。ご覧いただいた通り、たくさんの方が気にかけてくださって、助けてくれました。大豆のご縁に感謝です。

宮島の自然が育てる野菜と物語

2023年03月17日

先日、広島の宮島で中岡農園を営む山本ファミリー(悟史さん、千内さん、千草ちゃん)が遊びに来てくれました。山本さんの宮島野菜と、禾のお米・卵を物々交換をしていて、毎春宮島にいったり蒜山に来ていただいています。写真は昨春の宮島。美しい桜と、山本家にすっかり溶け込んでいた息子が印象的でした。

 

本来は一泊していただく予定が、私が風邪の病み上がりでやむなく日帰りでの滞在になりました。いつもより短い時間に私はボーッとする瞬間も多く、なんでこんなときに…!と残念でなりませんでしたが、それでも思い出深いことがたくさんあったので、書き残したいと思いました。

 

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昨年の夏。一羽の鶏が卵を温めているのを妻が見つけて、どうなるんだろうと実験的に見守っていたところ6羽の雛が産まれました。1年ぶりの雛たちは本当にかわいくて家族みんなで大はしゃぎでした。ただ我が家の養鶏サイクルでは難しいこともあり、前々から鶏を飼いたいとお話されていた山本家に引き取っていただきました。2週間の短い夏の思い出でした。

あれから半年が経ち、我が家では鶏をみんな絞めて、たくさん残しておいた卵もちょうど無くなった頃、宮島に移り住んだ鶏たちは産卵をはじめていました。山本さんが持ってきてくれたその卵を見たとき、すごく不思議な気持ちになりました。終わったはずの命が、自分たちには見えていなかったところで続いていて、なんというか命の境界線の曖昧さみたいなものを感じました。はじめましてとおかえりを一緒に言いたくなりました。

 

そしてもう一つ。数年前、山本さんがお客さんに禾のお米をおすそ分けしてくれていました。その方はそのお米をすごく気に入ってくれて、それから産まれたお子さんの名前に「禾」の字をつかってくださったそうです。「私たちも最近それを知ったんよ〜」と笑顔で教えてもらったとき、私はちょっと言葉に詰まりました。うれしい気持ちと畏れ多いような気持ちになって、どう答えたらいいのかわからなくなりました。

それから数日間このことを考えていて思ったことがあります。私は、自分なんてほんとにまだまだなんです、という表現をよく口にしていました。謙虚とかではなくて実際にそう感じるし、周りから見ても実際そうだと思うんです。でも、そういうのはもうやめなきゃいけないような気がしました。現実がどうあれせめて姿勢だけでも、背筋を伸ばして凛としていなきゃいけない。いつか会えたときその子に恥ずかしくない農家でありたいと思ったことを、こうして書き残しておきます。

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2年前につくった冊子『ぼくたちは夏に味噌をつくる』にも記した通り、藤原みそこうじ店さんと始めた「はじまりの味噌」という取り組みも、そのきっかけは山本さんでした。農家としても人としても私から見れば大先輩ですが、いつもいつも、あっちゃんはすごい、りょうくんはすごい、と私たちの存在をまるっと包み込んで背中を押してくれます。一緒に過ごせる時間は短くても、節目節目でたくさんの小さな感動を共有している家族のような感覚があります。また来年会えるのを楽しみに、一年のはじまりを告げる春の一日でした。

 

そんな大好きな中岡農園さんが最近また野菜の定期便枠を募集されるそうです。ぜひご覧になってくださいね。

https://www.instagram.com/nakaokanouen/