種をあやす

2023年08月18日

長崎・雲仙の岩崎さんといえば、自分たちのような農家で知らない人はいないであろう農家さんです。

大好きな野菜農家さんが岩崎さんの畑を見て野菜を食べたとき、恐縮ながら自分たちの道のずっと先にいる新しい師匠に出会ったように思ったよ、と教えてくれたのをよく覚えています。それ以来、いつかその畑に行ってみたいなという気持ちと、いやでもさすがにちょっと恐れ多いなという気持ちの両方を抱いています。

この本を読んで感じたことを、せっかくだから言葉にしておきたいと思いました。

 

最後のページを閉じて真っ先に思ったのは地味だなということ、そしてだからこそ、誇張も脚色もないこれが本物の言葉なんだなと思いました。岩崎さんといえば農業界のレジェンドのひとりです。先に出た農家さんは、同じ野菜農家として見て岩崎さんのすごさは作業の速さだと言っていました。自分だったら数手かかる一つの作業を岩崎さんは一手でやると。その場にいてもきっと私には見えませんが、そういう確固たる技術があるからこそ、専業農家として40年、50種類の在来種の種を採りつづけてこれたんだと思うと聞きました。そんな岩崎さんの言葉が、初めは自分が採った種に自信がなくて市販の種のなかに一列だけ蒔いたとか、種をあやす行為が恥ずかしくて人目につかないよう山や川の土手でひっそりとやっていたとかなのです。でも、というかだからこそ、十何年ものあいだ見てきた大根の花に、ある日突然深い感銘を受けたという言葉に自分も心が震えました。

「花を見て、これが野菜のもっとも美しい瞬間だと感じる心こそ、農民にとって大切なもののように感じます」

この本を端的に紹介するなら、きっとこの一節を選びます。人が食べる目的で育てる野菜の、その先で種をつなげるために咲かせる花の美しさに心を動かされることが、岩崎さんの農業なんだと思いました。

 

それから、野菜と穀物はぜんぜん違うなということ。穀物は食べるものがそのまま種なので、ある意味では収穫がそのまま種採りです。もちろん種採りの技術はあるけれど、自分たちのような種類の穀物農家には種を採りつづけることは当たり前の行為です。でも野菜は違います。私が唯一、家庭菜園で経験のある種採りは人参です。よい頃合いで人参を抜いて、いいものを選んで植え戻し、花が咲くのを待ってから種をとります。庭の一角が人参の白くささやかな花でいっぱいになり、なんていい風景なんだろうと思いながら、でも営農ベースでこれを続けるのは大変だなと思いました。岩崎さんも生易しいものではないと書いていたけれど、自分にはとてもとてもできません。

でもその一方で、さっき書いたこととも矛盾するのですが、なんかいいなぁって羨ましく思いました。岩崎さんが夢中になった野菜との関わりを、穀物とはまたぜんぜん違った関わりを、自分もやってみたいです。営農するほどの規模ではできないから家庭菜園として小さくでも、蒔いた種が、土から芽を出して、大きく育って、咲かせる花を一つひとつ自分も見てみたいです。畑をちょっとあけて、できれば来年の春から少しずつ、楽しみになってきました。心の動く本でした。

 

そもそもこの本を手にしたのは、『はじまりの味噌』についてもっと深く考えたいと思ったからでした。私が在来種の稲を育てて(いつかは大豆も)、藤原みそこうじ店さんが野生菌を採って、玄米みそをつくるこの取り組み。これまで10種類ほどの在来種の稲を育ててきましたが、その難しさや美しさもすこしずつわかってきました。明確においしくないなぁと思ってしまうことの多い在来種のお米も、野生菌でお味噌にしたら他のどんなお米でできたお味噌よりもおいしくなるかもしれません。もしそうなれば、きっと新しく残していける在来種の稲が増えていきます。穀物と野菜とは違えど、在来種とは何なのか、在来種を守るとはどういうことなのか、岩崎さんの言葉にきっとヒントがあるんじゃないかと思いました。でも読んでみての感想は、正直ぜんぜん考えが及んでいなかったな〜〜ということでした。とても長くなってしまうのでこの話はまた別の機会にしますが、どうしたものかなぁと大きな宿題を頂いた気分です。

 

最後に、勝手ながら写真集をつくってほしいなと思いました。大判で、その色とりどりの野菜や花を見ることができたらいいなぁと。どなたか、ぜひ!

2023年の稲作を振り返ってみる立秋

2023年08月08日

立秋となると暑さも和らいで、季節がかわり始めているのを感じます。暦はすごいですね。

 

心身ともに一番尽くしているからこそなのか、稲のことはなかなかうまく書けません。豆や麦と違って作業工程も多くて、何がどう秋の収穫に関係するのか正直わかりません。個人的には水も大切で、いつからいつまでどうやって出し入れするか、深さをどうするかなどなど、ほんとうに難しいです。仮に昨年と同じにしたくても、技術的にも天候的にもいろいろな事情でできません。2年前の冬に読んだ『刃物たるべく』という重厚な技術職人の本のなかにあった、技術とは単調であるべきといったお話を思い出し、技術者としての未熟さをふつふつと思います。

 

春は娘が産まれて、ひとりの人間としてはきっと人生で一番幸せな瞬間のひとつでした。もうとにかく、ほんとうにすごく愛おしいです。一方で、いち仕事人としては、あっちゃ〜〜という日々を過ごしていました。それでもどうにか季節に寄り添って、精一杯の夏を越え、いまはもう田んぼに入ることもありません。

 

その春のあっちゃ〜〜をちゃんと書くと大きく2つで、まず苗づくりでは1/3の苗箱が田植え機ではつかえず補植専用になりました。つかえる苗箱が少ないので予定より株間を広げてなお半分の田んぼが一部スカスカで、それに伴って草も多いです。苗代をフカフカの土にしたかったから昨年エンバクを蒔いてみたら土質がガラッと変わり、その変化に対応できず苗づくりがうまくできませんでした。それと春の耕起も代かきも遅く回数も少なかったです。昨年の稲わらを分解したくて春は何度か耕起したかったのですが、スズメノテッポウが残ったまま田植えをしました。田んぼの均平に勝る技術はそうそう無いので代かきをしながら高低差をなおしたかったのですがそれも叶わずでした。

 

それでも今年はもう失敗だった!!とまではっきり思えないのは、これはこれで一つの経験だよなぁとも思うからです。今年のことも、いつもだったら怖くてできないギリギリを試せたわけだし、苗代も新しいことをやってみたらこうなるんだとわかったということです。それと、変な話ですがよくできたときってあまりピンとくるものもないんです。でも思ったとおりにいかなかったときに得るものってけっこう確からしい感覚があります。

 

春は思ったようには関われなかったけど、夏はだいたいやり切りました。チェーン除草を1周、動力の中耕除草を5周、1枚の田んぼでは手で草をとりきって、しっかりめの中干しをして、田んぼの低いところを中心に溝切りをしました。やってみての反省はもちろんあるけれど、やろうとしたことをやれたのはよかったです。技術的に次に進める感覚があるからです。そう!やってみたかったことをやれないと、来年も同じことを「やってみたい」で終わっちゃって次にいけないんですよね。それが1年後だから悔しいんです。春はやってみたくはなかったことをやっちゃったけど、それはそれで新しくてよかったということです。

 

体はいつもくったくただし、落ち込んだりホッとしたりで心の上下運動もひっきりなしでしたが、田んぼに毎日夢中だったいい春と夏でした。自分たちの今年がつまったお米になると思います。収穫まであと2ヶ月、どうぞ一緒に楽しみにしていてくださいね。

5年目の、初めての古代小麦

2023年07月25日

先週、無事に古代小麦の収穫を終えました。50グラムから始まった小麦栽培は5年目にして322キロになりました。いつもは量が多くても少なくても(多いケースは稀ですが)、あまり言葉にしないようにしています。それでも今回ちゃんとした数字を書いたのは、きれいな小麦がつまった30キロの袋が10以上もできたことが、とてもとてもうれしかったからです。

 

この古代小麦は私が育てている作物のなかでも最も大きくて、私も少し見上げるくらいの背丈になります。例年7月初旬ごろに大風が何度か吹いて、そのたびに倒れてしまっていました。でも今年は今までで一番力強く育ったにも関わらず、ほとんど倒れることもありませんでした。地中にしっかりと根を張ってくれたのだと思うし、その根はきっと次の作物のためにもなってくれます。

 

いま禾は畑を3つに分けていて、大豆と麦(大麦・小麦)を毎年収穫できるようにぐるぐるまわしています。連作できれば2つに分けるだけでよいので管理も楽だし、連作できない植物ってどういうことなんだろうと疑問にも思います。この数年で連作を試した大豆と大麦は生育が悪くなり草にも覆われてしまったので、今のところはこの三分割にしていますが、畑の土が変わっていった先にまた違う世界が見れたらいいなぁと思っています。そういう意味でも古代小麦にはとても期待しています。

 

この古代小麦についてメモを読み返していたら、50グラム→500グラム→1.5キロ→17キロ→322キロと増えていったようです。最後の17キロになるまではすべてが手作業でした。種を蒔いて、鍬で土を寄せて、鎌で刈り取って、干して、脱穀して、穂から粒をひとつずつ取ってと。それなりに手間も時間もかかる正直にいえばちょっと面倒くさい作業でした。3年目に3倍にしか増えなかったときには諦めそうにもなりました。

 

そもそも、なぜこんなに小さく始めたかといえば古代小麦の種を譲っていただけるツテも無かったし、種子の販売も少量ずつしかなかったからです。それでもなんだかおもしろそうだし、時間さえかければ自分で種を増やせるんじゃないかなという軽い気持ちでした。それがまさかこんなに時間がかかるとは。何も知らない1年目だったからできたのかなと思いつつ、ちょっとだけ農業を知ってきた今でも、これからも、変わらずにこんな面倒くさいことを厭わない自分でありつづけたいなとも思いました。