清らかな水がある蒜山の
四季折々の美しさ

静かに見つめ 耳をかたむけ
この世界にある
豊かな自然と生きる命にとって
心地よいものをつくる

そうしてできる穀物と卵は
きっとやさしい味がする

ここに穏やかでまっすぐな
二人が描く世界がある

心地よいものを

「冬には子どもと一緒に雪遊びができるし、自然豊かなこの地域で過ごす毎日が好きで、この環境のおかげでおいしいものを作ることができます」
岡山県の最北部。北の山陰と南の山陽を分ける蒜山の麓にある真庭市旧中和村。ここで、自然栽培で穀物を作っている近藤亮一さんと、資源を循環させる飼料で養鶏をしている妻の温子さんは暮らしている。
「ここは標高500mの高原地帯で、昼夜の寒暖差が大きく、冷涼な気候です。冬は雪深く、目に見える世界が真っ白に染まる。その澄みきった空気が大地をゆっくりと潤し、豊かな雪解け水が春からの稲作を迎えてくれ、鶏たちはその水を飲みながら育ちます」
その自然のありがたさを感じている二人は、自分たちのことを優先し、何かを犠牲にしたり、消費したりするようなやり方は選ばない。それは今の時代において、とても非効率なことかもしれない。
「私たちにとって大切なのは、心地よさ。まわりに住む生物や自然、そして私たち自身。そのすべてに心地よいやり方で作ったものを『美味しい』と思いたい。穀物でも、土の排水性、風の吹き方、日光の当たり方、水のよさ…。田畑の外を含めたこのあたりの景色を作っているすべてがつながっていると思っています」
農家として自分たちの奥底にある想いをまっすぐに伝えるその目には、柔らかさとしなやかな強さが宿っている。

優しく生きる

世界は、目に映る光景だけではない。見えないところにも、人々は暮らし、生物や植物は呼吸し、自然は生きている。二人にとって見えない世界を想像するきっかけは、学生時代の経験にある。
東南アジアの暮らしに触れた大学時代に国際協力、そして農業に関心を持った温子さんは農村指導者を育てる学校法人「アジア学院」の研修に参加。一旦は生協で働いたものの「都会で働いてたのですが、もう少し違う生き方、田畑にいる暮らしがしたいと思うようになりました」と退職して入学を決意。亮一さんも学生時代にベトナムでボランティア活動を経験したことから国際協力への思いを強めた。ITの会社を辞めてアジア学院にボランティアとして働くようになり、そこで二人は出会うことになる。
「アジア学院では、毎年アジアやアフリカから学生、欧米からもボランティアを招き、共同生活をしながら有機農業やパーマカルチャーを学びました。さまざまな国籍を持つ人たちと触れ合う中で、自分がわかる、できる範囲でいいから、誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりしない仕事と暮らしがしたいと思うようになりました」
学校のモットーでもある「共に生きる」。その言葉のように、見えない世界にも優しい生き方ができないだろうか。想いは、日に日に募っていった。

農を通して届ける

自分たちの価値観がぼんやりと定まってゆくなかで、ひときわ亮一さんが惹かれたのは農場で働く人々の姿だった。
「自分たちが生きるために食べ物を作るってすごく尊い仕事だと思いました。時に厳しくもあるけれど、田畑や自然は歪みがなくまっすぐで美しい。そこから農を中心とした暮らしをしていきたいと思うようになりました」
温子さんもまた農に強く惹かれていき、学校法人を離れて二人は広島県へ。そこで2年間、一緒にNPO法人の立ち上げに関わりながら農的な暮らしを経験。そこでは、無農薬・無施肥・不耕起手作業・自給自足の生活をしていたが、理想を追い求める一方、現実的な問題にもぶつかった。
「広島での日々もいい時間ではあったんですが、生活費をギリギリでやりくりしながらで…。自給自足で良いと思うものを作るのはいいけど、それを自分たちが食べるだけで良いのだろうかと思いました。もっと農業に深く関わりながら生活としても続けていけ、思っていることを誰かに届けられるような農家になりたいと思うようになりました」
そんな頃、旧中和村で自然栽培をしている農家さんに出会い、一年間研修させてもらうことに。自分たちのやりたいことを実現する場所を決めかねていたが、そのご縁が二人を中和に引き寄せることになる。

地に足つけて

「良いものを作って、食べてほしいと願う一方で、自分たちの暮らしが犠牲にならないようにしたいと思っています。自分たちが豊かだと思える暮らしがあるからこそ、良いものを作ることができる。だから、私たちは、子どもとの時間も大切にしたいし、休みもきちんと取るようにしています」
理想だけを語るでもなく、自分たちが食べていくための現実だけを見るわけでもなく。自分たちがちゃんとこの地に足をつけて生き、農を通して想いを届けている。「この頃は、少しずつ想いを同じくする仲間とつながり、自分たちが作った作物を使って、味噌やお餅、煎餅など加工品も増えてきたんです」と嬉しそうな二人。
時には自然の厳しさも、生き物と対峙する難しさも感じることもあるが、それはこの世界に生きているという実感でもある。流れゆく中和での日々は、とても心地よい。
禾の名前は、一年を小さな季節にわけた七十二候の一つ「禾乃登(こくものみのる)」からつけた。 田の稲穂に米粒がたわわに実り穂を垂らすころ、秋の農村が黄金色に染まる情景が浮かぶ美しい言葉だ。少しずつ、少しずつ。二人が耕そうとしている景色は、これから美しく輝きを増してゆく。

Text & Photograph / Kazutoshi Fujita(僕ら、)

みる、ということ

みる、ということ

2026年05月27日

今年もまた、5月半ばにひよこを迎えた。

生まれてすぐのひよこを育てる育雛(いくすう)というのは年に1回だけ。毎年春が近づいてくると、去年の記録を引っ張り出し、養鶏の本の育雛のページを読み込み、頭の中の記憶を呼び覚ますところから始まる。基本の準備は、育雛箱という明かりと保温のための空間を木枠で作り、ひよこ用の餌の仕込みをし、床に落ち葉と米糠を混ぜたものを敷いて暖かく発酵させる。ひなたちを迎えてからは、当初は1日6回くらい、今では4回くらい、餌やりや水の交換、温度の確認などを3週間くらい続ける。

4回目の育雛はようやく勝手がわかってきて、準備も来てからのお世話もなんとなく前回の雰囲気を踏襲しつつ、そこそこ省力化できるようになってきた。多少は慣れてきたのかなとも思う。

そんなことを考えていた、10日目の朝、1羽のひよこが死んでいた。

ひよこが死んでしまうことは、残念ながらままある。生まれてすぐの子は本来母鶏と一緒にいるはずである。母鶏がいたら、その羽根の中に収まって適切な温度湿度で過ごせる。それをひよこだけ集められて段ボールの中に詰められて(詰めるのはひよこ同士をくっつけて温度を保つためで箱には換気のために適切に穴が開いている)、人工的に温度湿度を調整して育てるのだからなかなか難しい。母鶏には及ばないなとつくづく思う。

ある年は届いたその日に箱の中ですでに死んでいる子もいた。成長の途中で他の子ほど大きくならないなと思っていたらそのまま死んでしまったりする子もたまにいる。私の感覚では、100羽くらいのうち2,3羽は仕方ないかなと思っている。とある本では1割くらいは死んでも良い程度に厳しく強く育てましょうとも書いてある。私はどうしてもそんなに厳しくはできず、寒そうかなと思ったら暖かくするし、弱っている子は隔離してなんとか復活できるようにと願ってしまう。過保護な対応の結果、2,3羽くらいに収まっている。

そんな状況なので、ひよこが1羽死んでしまうこと自体珍しいことではない。ただ、私がショックを受けたのは予兆に全く気づけなかったことだった。

 

生き物を育てるというのは、とにもかくにも「みる」ということに尽きると思っている。

 

ここから少し、大人の鶏の話になる。近所の方が鶏舎にやってきた時、小部屋で別飼いしている3羽の鶏について聞いてきた。

「あれはなんで別れとるんだ?おん鶏か〜??(なんで別の部屋で飼っているのか?オスドリか?)」

「オスじゃないですよ、オスは白いやつです。あれは具合が悪いから分けてるんですよ。」

「そうか、みりゃ〜わかるんか?(見ればわかるのか?)」

「あっそうですね…。えっわかりませんでした…?」

 

こんな会話である。たわいもないただの世間話にすぎないのだけど、なんだか私の心にずっと引っかかっている。私にとっては明確に他の鶏と様子が違うのに、他の人から見たら違いがわからないということに驚いたのである。

私は日々鶏たちを見ている。その目的は明確で、具合が悪い子はいないかを見ている。私がやってきた時、ご飯を求めてくる時、ご飯を食べている時、他の鶏とちょっと揉めている時、オスドリがお互いに牽制し合っている時、リラックスモードの時。そんな様々な瞬間で、他の子と比べるとちょっと動きが鈍かったり、いじめられて止まり木から降りられなくなっていたり、血がでていたり、便がおかしかったり、顔つきやトサカがしゅんとしていたり、そんな子がいないかを見ている。

でも、見ていると言っても、朝と夕方に餌をあげつつたまごを集めつつなので、一日の中で数十分程度の時間である。ただ、それを繰り返していると、なんとなく、あっこの子元気ないな、小部屋に移そうと考える。

 

そんなことが当たり前になっていて、そうやって見るということがある意味自分の特性になっていることに気づいていなかった。これは特別な話ではなく、きっと誰もがそんな一面を持っているように思う。繰り返し触れているからこそわかる世界がある。そしてきっと、自分が飼っている鶏に対してですら、私もまだまだ見えていないものがあるはずだ。

先日、家畜衛生保健所の職員の方が視察にやってきた。その時も、いろいろとお話をしつつ、うちの鶏をじっと見ている方がいた。いろいろな養鶏場や畜産の場で動物たちを見ていられるからこそ、きっと私には見えないものが見えていたのではないかと思う。

 

さて、話を戻すとひよこである。なんとも言えないショックだったことは、そのひよこが死んでしまう前に異変に気づけなかったということだった。ひよこたち、特に生まれて一週間程度は見るのが難しいと感じている。それはそれぞれの生活リズムや行動がバラバラだからだ。元気にご飯を探し回る子がいる時間でも、うとうと気持ちよさそうに眠る子もいる。夜でも起きてたり、寝ていたり、それぞれバラバラに過ごしている。その寝ているの姿が具合が悪くずっと寝ているのか、その前までは元気でその瞬間は寝ていたのかはわからない。もうそれは、数時間張り付いていないとわからないけど、そこまで時間をかけるのは現実的ではない。長く見れて5分程度である。見る時も、ひよこたちを驚かしてしまっては普段の様子は見えてこないので、そ〜っと隙間から覗くことが多い。だから、大人の鶏ほど、ぱっと見でわかるものではない。そこにひよこの難しさがあるし、まだまだ見えていないことがある。

 

ひよこも、大人の鶏も、こうやって急に死んでしまった時ほど落ち込んでしまう。弱っている子を見つけたとしても元気になることはほとんどない。それでも、異変に気づいて隔離してからの死は、きちんと向き合えた、看取れたという気持ちになる。それができなかった時は、本当に申し訳なくいたたまれなくなるのだ。そんなことが時々ある。

それが怖くて、いつまでも見てしまう時もある。ただ、怖い気持ちがベースにあると全ての行動が悪い方向に見えてくる。みんなが具合が悪いように思えてくる。その様子に没頭してしまうと、私の心がむしばまれてくる。一気にみんな死んでしまうという夢に出てくる。だから、いつだって彼らの生命力を信じる気持ちをベースに置くことが欠かせない。

 

見るは難しく、見るには力がある。見ていたおかげでいろいろな気づきもあるけれど、恐れや恐怖もつれてくる。私はどちらかというと見過ぎてしまうことも多いように思う。聞く・話すよりも見るが強くて、見るに頼り過ぎている。だけど、見る力は生き物を育てることには役立っているように思う。鶏に限らず、ペットの猫や植物、子どもですらも。

 

見るは、観るにもなるし、視るにもなるし、診るにもなるし、看るにもなる。なんだか一生を表しているような言葉だ。そんな見るの力を頼りに、今日もまた命と向き合っている。

 

近藤温子

2025年のふりかえり|穀物栽培について

2025年のふりかえり|穀物栽培について

2025年12月18日

2025年もあっという間!(ですよね?)今年も栽培のこと、技術的なことをふりかえってみます。昨年同様、農業に関わっていない人でも読めるように意識はしましたが、基本的には自分のメモとして書いています。

 

|水稲

今年はいつものササニシキ、亀の尾、こがねもちに加えて、鳥取在来種の福山をすこしだけ育てていました。それぞれに課題や発見がありますが、総論としては昨年の豊作に比べたらむずかしい一年だったなという感想です。以前も読み物に書きましたが、まず春の苗づくりを失敗しました。それで植えられる田んぼが減ってしまい、それがまず総量の減少に深く関わっています。

まずササニシキ、こちらは苗が足りずに田んぼが1枚減りました。反収でいえば昨年ほどではないにせよ、これまでのなかでは2番目の良さでした。減ってしまったのは半分の田んぼで草の対応に失敗してしまったからでした。わたしが聞くところによると、自然栽培(無肥料?)あるあるとして生えてくる草が変化します。一年草のヒエやコナギは徐々に姿を見せなくなり、多年草のオモダカやクログワイが元気になってきます。わたし個人の体験としても、はじめの数年はやはりヒエが目立ち、稲はそこそこなのにヒエが多すぎて全面が倒伏する田んぼもありました。そこから深水管理も上手になったこともあるのか、ヒエはほとんど見ないし気にならないようになりました。コナギが気になる田んぼもありますが、いまはやはりオモダカが中心で、ちょこちょことクログワイが見えてきました。先輩農家さんたちから聞いてきたこと変化が目の前で起きていて、おお!自分もついにオモダカに悩むようになってきたのね、、とちょっと感慨深いです。

と、そんなオモダカの対応に今年はがっつり失敗をしています。多めの代掻きで早めに出てくる草を埋め込んだり、定番の深水管理をしながら除草機をかけたり、それから勢いそこそこの田んぼでは気合いの手除草でいい感じですが、勢いのすごい田んぼではびっしりと生やしてしまいました。7月があと2週間ほど増えてくれたらできそうですがとても現実的ではありません。ここ数年続けてきたやり方ですが、このままではいけないなぁとしみじみ理解してきました。次を真剣に考えていかないといけません。

 

それから亀の尾。1年目の冬に種を譲っていただき、2年目は種を増やし、3年目から本格栽培という付き合いですが、今年はこの5年間で一番の少なさでした。苗が足りずに田んぼの半分ほどしか植えられていないことが大きな要因ですが、来年は田んぼを替えてみようと思っています。思い入れがあるからと家からすぐの田んぼで育てはじめて、それからも作付や効率性の関係で近くの田んぼをあててきました。毎年ちょっとずつの改善を試みていますが、どうも元気いっぱいには育てられていない気がしています。それでふと、2年目に種を増やしたとき家からすこしだけ離れた田んぼの一角に植えていたのですが、そこでの姿がとても立派で好きになったのを思い出しました。家近くの砂地田んぼとはちがい、そこは真っ黒な土。そこで育てたらどうなるんだろうと、今更ながらにふと思ったのでした。もうすこしいろいろ考えたいのですが、来年はそちらでとも考えています。

 

そしてこがねもち。育苗に失敗したというかほぼ全滅してしまい、蒔き直しをしなかったら収穫ゼロでした。田植えがちょっと遅かったような気もしますが、とにかく収穫ができてほんとうによかった。。お餅シーズンに入っている今、しみじみと喜びを感じています。いまの禾は、もち米よりもうるち米のほうが圧倒的に足りていないので、こがねもちをどんどん増やそうとは思っていません。平年量を毎年しっかりとれるように安定させていきたいなと思っています。

 

最後は鳥取在来種の福山。こちらは藤原みそこうじ店さんとの「はじまりの味噌」のために育てたお米です。かなりギリギリ、というか9月の長雨がなかったら危なかったかもというほどの晩稲ですが、実りはたわわにありました。2026年の夏に仕込んでもらい、2027年の夏に食べられるお味噌になる予定です。楽しみですね。

 

それから全体でいえば、収穫で田んぼを大いに荒らしてしまいました。ここまではやっぱり初めてで大きな反省です。中干しをきびしくしたり、ゆるくしたり、溝切りをしたりやめたり、夏の水管理を毎年の雰囲気と前年の反省で微調整をしていますが、いやはやです。。秋起こしはもちろんできなかったし来年の春がもう心配です。

あとは話が前後するけれど、苗づくり。稲作でする大きな失敗のほとんどはここにあります。ミスのないようにと毎年気を付けてはいますが、どうしても新しい穴には落ちてしまいます。それで来年からは、失敗してもすぐにやり直しができるように、いろいろな余剰を持っておこうと思っています。春はとても忙しいこともあり、すべてがギリギリ足りるほどしか用意をしないのですが、ここに改善の余地があるなぁと思ったのです。正確には、思ってはいたけれど踏ん切りがつかないままだったのですが、さすがにちょっとここはどうにかしないといけないと痛感したのでした。

 

 

|大豆

今年も昨年同様、サチユタカと日の丸大豆の2品種です。まだ乾燥選別をお願いしているところなので実際の収穫量はわかっていません。ひとまず現時点での感想としてはですが、栽培段階でも収穫量でもサチユタカはうまくいかず日の丸大豆はとてもよかったというのが総論です。

まず、サチユタカ。昨年の大豊作をイメージしつつ、今年の挑戦は連作と麦との立毛間栽培の2つでした。ただ、春先からやや失敗のスタートでした。ロータリーがけはとにかく浅めが基本なのですが、それが弱くて春草がずっと残ってしまいました。日に日に大きくなっていき、徐々に深くしてももう埋め込めない…。例年の倍くらい数はかけたけど、草が残ったままの播種となりました。数年前にも田んぼで似たような失敗をしていたのに、なかなか懲りません。

それから発芽率の悪さ。これは要因がよくわからないままなのですが、半分も芽が出ませんでした(残らなかった?)。何箇所も土を掘ってみて、鳥や獣に食べられる、機械が詰まっていたのか蒔けていない筋があった、などは確認しましたが、これほど芽がそろわないのは初めてでした。結局やり直しで、2枚のうち1枚は2回播種、もう1枚は3回播種をしました。ロータリーがけの数が多かったので土が細かく乾きすぎたのかもしれないと、雨の直後を狙ってみましたが、すこしはマシになったかな程度で劇的な改善はありませんでした。種子の予備がなかったので、正規品ではなくB品をつかっていてそれも影響しているかもしれません。

生育期間中も、そもそも大豆がいないので草も多くなってしまい、収穫直前の晩秋はひたすら草刈り・草取りでした。ここでかける何十時間の、その数分の一でいいから夏にやっていればそれで終わっていたのにな、と毎年思います。季節に寄り添うといえば聞こえはいいですが、遅れないようにするだけで精一杯、というか遅れまくっているのです。

それから収穫についても。なかなかすべてが熟れず落葉しない株も多々ありました。そもそも蒔き直しの連続で予定よりもかなり遅れていたので心配はしていましたが、2枚のうち3回播種をしたほう(より遅かった)がまだよかったのです。播種が遅いと成長が進まず実がつかず熟れない落葉しない、というイメージがありましたが、今年を見る限りでは、ある程度遅いとダメだけど、かなり遅いと株も小さいから熟れるには熟れる、なのかなぁと。わからないことだらけです。

 

日の丸大豆。こちらは栽培と収穫のどちらもよかったです。前述のとおり今年は稲の苗が足りませんでした。それで当初は大豆畑の一角で日の丸大豆を育てるつもりでしたが、1枚まるまるをそのまま当てることにしました。

サチユタカ圃場のようにサラサラな畑っぽくなった土とは違って、前年が田んぼで排水対策も特別にはしておらず土もゴロゴロ。サチユタカで芽が出ない問題も既に出ていたので、日の丸大豆もあまりいいことにならないかなと心配でしたが、きれいにビシッと芽がそろいました。それからの草の生育も勢いがなく、週に一回畑をぐるっと歩きながら手で草をちょこちょこととっていくだけで問題なく、草が全くないなかでの土寄せを初めてしました。

それから昨年は地生えになっていたのが、今年は播種時期を遅らせることでそれほど伸びることもなく、倒伏もほぼないままで秋を迎えました。こちらは昨冬、他の地域で日の丸大豆を育てている方に電話でお話を伺って気がついたことで、ほんとうにいいアドバイスを頂いたなぁと思っています。機械の収穫ももちろんできるし、サチユタカと比べても鞘付きが株の上のほうなので歩留まりもよかったです。

ただ最後の難点はやはり選別作業です。おそらく今年も、平べったいその形状から機械での選別がほとんどできないのだと思います。昨年は友人にもお手伝いいただいてのひたすら手作業、のべ100時間ほどかけて製品に仕上げています。今年は倍以上の量がありそうなので、200時間、、?と思うとなかなかです。ここがもう少し良い形になれば日の丸大豆を中心にしていきたいのですが、鞍掛大豆のいい選別方法なにかないかなぁ。。

という感じで、まだまだ課題の多い大豆栽培ですが、やっぱり稲と大豆のローテーションをするかなぁと悩んでいます。大豆の難易度が一気に下がるからです。ただ田んぼは田んぼ、畑は畑、としていきたいという大前提があったので、うーん、、どうするかなぁ。。冬のあいだにじっくり向き合います。

 

|麦

大豆のあいだに麦を播種をする、立毛間栽培をするんだと意気込んでいましたが何もできませんでした。大豆の草が多くなってしまったことと、大豆と稲のローテーションを考えはじめたのでやめておきました。こうなると、麦は麦でずっと連作をする案もありますが、それをできる圃場がないし、もし圃場が増えたとしてもいまはやはり稲や大豆を育てるべきでは、と感じてしまっています。麦は風景としてもすごく好きなのでどうにか育てたいのですが、どうしたものか、いまは見通しも立っていません。

 

|小豆

と、ここまで昨年に比べればさみしいばかりの結果でしたが、小豆だけはとてもよかったです!育てたものは2品種で、大納言小豆とヤブツルアズキ。

大納言小豆は家庭菜園をほぼ諦めている我が家には珍しい自宅用で、2年前に初めて育てました。記録によるとそのときは100gほどの収穫だったのが、今年はなんと2.7kg。集落の方にもお裾分けをしつつ、冬のあんこもちが楽しみです。それから藤原みそこうじ店さんに頼まれてはじめたヤブツルアズキ、こちらも過去最高の3.8kgの収穫でした。

まず、栽培がとてもうまくいきました。例年の失敗は草負けです。そもそもヤブツルアズキは地生え気味で除草もしにく、気がつけば手を入れるのも大変になっていて、そのまま諦めて秋を迎える、です。今年は徒長しないよう播種時期を遅らせて、かつ簡単な除草作業をとにかくこまめに行いました。草が見えないうちからレーキで地表をガリガリ削っていくだけ。そもそも生やさない、そしてそのまま株が大きくなっていき手をかけなくてよくなる、という理想的なシーズンでした。この良いイメージをもって来年も臨みたいです。(うれしかったので、写真もヤブツルアズキのものです)

ただ、収穫はまだまだ課題です。どちらも数kgと言いつつ、すべてが手作業なのでなかなか大変です。例えばヤブツルアズキは熟れるタイミングが鞘によってかなり異なっていて、しかも熟れるとすぐに弾けて落ちてしまいます。それで10月初旬から一ヶ月、ほぼ毎週のように鞘ひとつひとつを収穫して乾燥選別をしていきました。歩留まりはよかったものの、のべ5日間ほどかかっていて、もう少し効率的な方法を見つけないとこれ以上は難しそうです。こちらも要検討ですね。

 

こうして文字にするにあたって、昨年と今年の日誌を読み返しました(就農以来ずっと綴っているのです)。すると、ぼんやりと抱いていた総括が実態とは違っていたり、忘れていた当時の反省を思い返したり、なんだかこの営み自体がわたしにとって大切な時間だなと思うようになりました。

先日、友人と夜な夜な電話をしていたときに、書くことがすこし話題になりました。どうして書いているのか、自分にとってはどこまでいっても自分のためなのです。それは、ぼんやりと頭に漂っている考えをひとつひとつ文字にすることで、書いてみたけどそれってほんとう?と自分に再度問いかけたり、ここはなにか大切な気がするからもっと先があるんじゃないの?と思えたり。頭の中にだと止まっている思考が、文字と自分のふたりになることで進んでいくような感覚があるのです(いまもまさに書きながら考えていますしね)。

今年はどうだった?と聞かれると、昨年の豊作に比べればそうでもなかったですね〜、むずかしいです。みたいについつい答えてしまうのですが、グッと深い学びと経験を得ているんだなと思ってきました。来年にはまた来年の土と種がありますが、冬を超えてまた来年の自分になって、春からまた精一杯やっていきたいです。

食べるものへの配慮

食べるものへの配慮

2025年11月10日

10月半ばに鶏の一部を廃鶏にしました。昨年の春から飼い始め1年間たまごを産んでくれた鶏たちです。

禾としては実に3年ぶり2回目の廃鶏。処理していただいたのは前回と同じ岡山市の三島食鶏さんです。この時ばかりはちょっとかわいそうなのですが、鶏を入れる専用のカゴに7羽ずつくらい入れて、軽トラに3段積み、高速道路を使って2時間の道のりです。もう少し近くで、または自分たちで捌けたらという思いはありつつ、販売するためには免許を取得した施設でないといけないため現状自分たちではできないし、このような仕事をする会社さんはもうそんなに多くはありませんし、ひとまず県内で良かった、今回も引き受けてくださってありがたいという思いです。朝から夫と一緒に必死にカゴに詰める作業を。3年前は妊婦だったのでほぼ夫が一人で詰めて運んでくれました。今回は身軽なのがこれ幸いで私もしっかり捕まえて、私が岡山市まで運んで屠殺していただきました。空っぽになったカゴを持ち帰り、がらんとした鶏舎を見てふうと一息。命をいただいて生きているという実感をする瞬間です。

そうして、パック詰めされたお肉が我が家に帰ってきました。早速、家族でいただこうと思って食卓に出すと、なんと6歳息子が「たべたくないな〜」と。いつまでもぐずぐずしていたので、はよ食べんさい!と食事を促しても鶏肉には手を出さずにごちそうさましてしまいました。

そんなことが何度か続いたので、よくよく話を聞いてみると、うちの鶏のお肉は食べたくない、他の鶏肉やうちのたまごは大丈夫と思っていることがわかりました。少し目をうるうるさせながらそんなことを話してくれて、彼なりに寂しさと悲しさを感じていること、食べられるものと食べられないものの線引きを考えていること、そんなことがわかってきました。彼としては、たまごは生きていないから食べられる、生きている鶏を殺して食べるのは嫌、それが直接には見えない他の養鶏場の鶏は食べられる、ということなのかなと思います。廃鶏やお肉にして食べることを伝えてても、それまでは特に反応がなくて、今日鶏連れて行ってきたよと言った後には、鶏舎を見に行って少なくなったね!くらいのコメントしかありませんでした。いざ食べるとなった時に、きっときっと彼なりに何度も考えたのでしょう。わたしたち夫婦がそんなことに向き合うようになったのは、彼よりずっと大人になってからです。よく言えばこれがまさに食育です。しかし、本人の意思とは関係なく農家の子として生まれて、幼い頃から命を食べることに向き合う彼の気持ちは一体どれくらい重いものを背負っているのだろう、と少し申し訳なく思いました。

食卓が生産現場から離れているという現代の食事事情を私は悪いことではないとも思っています。男木島・ダモンテ商会さんの「広いキッチン 長いレシピ」という本の中で、二宮将吾さんが、鶏の屠殺から焼き鳥にして食べるまでの過程を体験したのちに「料理とは、食材のポジションに関する情報をデザインするための人間の技術体系」(p.57)であると指摘しています。調理方法によってその生き物の「存在感」を見せたり隠したりしていて、「食べる者への配慮が料理の技術を発達させる」(p.57)と語っていました。これはすごい発見だなと私も思っていて、読んでからずっとその通りだなと感じています。例えば、私自身たまごを食べるときに、ゆで卵は命を感じすぎて食べにくく、スクランブルエッグにしてしまった方がいいと思う時があります。私はたまごを孵化させた経験があるため、スクランブルエッグの方が鶏やひよこの存在感を感じにくくなるからです。

今よりずっと生産現場が近かった頃は、そのような料理の発明が人々の精神を支えてきたこと、生きることへの罪悪感を薄めてきたことがあるのではないかと感じています。食卓と生産が遠いことは何かと問題視されがちですし、私もできるだけ生産の場で起きていること感じていることを伝えたいとは思っています。ただ一方で、その距離感の居心地の良さは人ぞれぞれであり、それぞれ異なった配慮が必要であると息子の想いを知ってより一層感じました。