清らかな水がある蒜山の
四季折々の美しさ

静かに見つめ 耳をかたむけ
この世界にある
豊かな自然と生きる命にとって
心地よいものをつくる

そうしてできる穀物と卵は
きっとやさしい味がする

ここに穏やかでまっすぐな
二人が描く世界がある

心地よいものを

「冬には子どもと一緒に雪遊びができるし、自然豊かなこの地域で過ごす毎日が好きで、この環境のおかげでおいしいものを作ることができます」
岡山県の最北部。北の山陰と南の山陽を分ける蒜山の麓にある真庭市旧中和村。ここで、自然栽培で穀物を作っている近藤亮一さんと、資源を循環させる飼料で養鶏をしている妻の温子さんは暮らしている。
「ここは標高500mの高原地帯で、昼夜の寒暖差が大きく、冷涼な気候です。冬は雪深く、目に見える世界が真っ白に染まる。その澄みきった空気が大地をゆっくりと潤し、豊かな雪解け水が春からの稲作を迎えてくれ、鶏たちはその水を飲みながら育ちます」
その自然のありがたさを感じている二人は、自分たちのことを優先し、何かを犠牲にしたり、消費したりするようなやり方は選ばない。それは今の時代において、とても非効率なことかもしれない。
「私たちにとって大切なのは、心地よさ。まわりに住む生物や自然、そして私たち自身。そのすべてに心地よいやり方で作ったものを『美味しい』と思いたい。穀物でも、土の排水性、風の吹き方、日光の当たり方、水のよさ…。田畑の外を含めたこのあたりの景色を作っているすべてがつながっていると思っています」
農家として自分たちの奥底にある想いをまっすぐに伝えるその目には、柔らかさとしなやかな強さが宿っている。

優しく生きる

世界は、目に映る光景だけではない。見えないところにも、人々は暮らし、生物や植物は呼吸し、自然は生きている。二人にとって見えない世界を想像するきっかけは、学生時代の経験にある。
東南アジアの暮らしに触れた大学時代に国際協力、そして農業に関心を持った温子さんは農村指導者を育てる学校法人「アジア学院」の研修に参加。一旦は生協で働いたものの「都会で働いてたのですが、もう少し違う生き方、田畑にいる暮らしがしたいと思うようになりました」と退職して入学を決意。亮一さんも学生時代にベトナムでボランティア活動を経験したことから国際協力への思いを強めた。ITの会社を辞めてアジア学院にボランティアとして働くようになり、そこで二人は出会うことになる。
「アジア学院では、毎年アジアやアフリカから学生、欧米からもボランティアを招き、共同生活をしながら有機農業やパーマカルチャーを学びました。さまざまな国籍を持つ人たちと触れ合う中で、自分がわかる、できる範囲でいいから、誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりしない仕事と暮らしがしたいと思うようになりました」
学校のモットーでもある「共に生きる」。その言葉のように、見えない世界にも優しい生き方ができないだろうか。想いは、日に日に募っていった。

農を通して届ける

自分たちの価値観がぼんやりと定まってゆくなかで、ひときわ亮一さんが惹かれたのは農場で働く人々の姿だった。
「自分たちが生きるために食べ物を作るってすごく尊い仕事だと思いました。時に厳しくもあるけれど、田畑や自然は歪みがなくまっすぐで美しい。そこから農を中心とした暮らしをしていきたいと思うようになりました」
温子さんもまた農に強く惹かれていき、学校法人を離れて二人は広島県へ。そこで2年間、一緒にNPO法人の立ち上げに関わりながら農的な暮らしを経験。そこでは、無農薬・無施肥・不耕起手作業・自給自足の生活をしていたが、理想を追い求める一方、現実的な問題にもぶつかった。
「広島での日々もいい時間ではあったんですが、生活費をギリギリでやりくりしながらで…。自給自足で良いと思うものを作るのはいいけど、それを自分たちが食べるだけで良いのだろうかと思いました。もっと農業に深く関わりながら生活としても続けていけ、思っていることを誰かに届けられるような農家になりたいと思うようになりました」
そんな頃、旧中和村で自然栽培をしている農家さんに出会い、一年間研修させてもらうことに。自分たちのやりたいことを実現する場所を決めかねていたが、そのご縁が二人を中和に引き寄せることになる。

地に足つけて

「良いものを作って、食べてほしいと願う一方で、自分たちの暮らしが犠牲にならないようにしたいと思っています。自分たちが豊かだと思える暮らしがあるからこそ、良いものを作ることができる。だから、私たちは、子どもとの時間も大切にしたいし、休みもきちんと取るようにしています」
理想だけを語るでもなく、自分たちが食べていくための現実だけを見るわけでもなく。自分たちがちゃんとこの地に足をつけて生き、農を通して想いを届けている。「この頃は、少しずつ想いを同じくする仲間とつながり、自分たちが作った作物を使って、味噌やお餅、煎餅など加工品も増えてきたんです」と嬉しそうな二人。
時には自然の厳しさも、生き物と対峙する難しさも感じることもあるが、それはこの世界に生きているという実感でもある。流れゆく中和での日々は、とても心地よい。
禾の名前は、一年を小さな季節にわけた七十二候の一つ「禾乃登(こくものみのる)」からつけた。 田の稲穂に米粒がたわわに実り穂を垂らすころ、秋の農村が黄金色に染まる情景が浮かぶ美しい言葉だ。少しずつ、少しずつ。二人が耕そうとしている景色は、これから美しく輝きを増してゆく。

Text & Photograph / Kazutoshi Fujita(僕ら、)

穀物農家の種とのかかわり

穀物農家の種とのかかわり

2023年10月02日

種は命そのもので、それが育っていくには時間がかかります。私の経験だけでいえば、少量から始めて本格的な栽培に至るまでに、稲なら2〜3年、麦なら5年かかっています。大豆は今年から始めていますが、きっと同じくらいの時間を要するんじゃないかと思っています。そしてその間は経済的に得るものはなく時間と手間だけがかかるので、それなりの覚悟と根気のいる取り組みです。種は大変で、そして大切なものなんだと心の底から思います。

 

なので、そんな種は努力の結晶であり簡単に譲り渡すことはできないという考えは容易に理解ができます。そんな声を何度も見たことがあるし、その苦労を少しは想像できるようにもなりました。ほんとうにその通りだと思います。そんなセンシティブなものだからこそ、私もだれかに、種を譲ってほしいんですと簡単には言えません。いろいろなことを調べに調べて、育ててみないと自分にも土地にもあうかわからないというのは重々承知の上で、それでもどうしても試してみたくて、どうしてもその人にお願いしないといけないんだと、心のなかで対話と熟考を重ねてようやく声をかけることができたりします(できなかったことも何度もあります)。そしてそのときにはいつも不安で怖くなり、どこか申し訳なさでいっぱいにもなります。

 

でもその一方で、自分が持っている種を譲ることにはぜんぜん抵抗がありません。むしろ、それが大変な思いをして大切であればあるほどにそうだし、仮にその地でうまくいかったとしてもどうこう思うこともありません(翌年また挑戦したいと言われれば、ぜひお願いしますと何度でも譲りたいとも思っています)。ある種の矛盾ではあって、自分のこの気持ちは何なんだろうとずっと考えてきましたが、最近ようやくわかってきました。それはもし自分が種だったとしたら、きっといろいろなところに行ってみたいと思うからなんです。種とはそういうものなんだと。そして穀物農家である私はその種を食べ、食べてもらい、そうやって暮らしを成り立たせています。文字通り、誰よりも種に生かされているのだからこそ、自分が想像できる限りの、種にとってのいい関わりをしていけたらと思っているんです。だから譲り手の方がどうというわけではなく、種がきっと望むであろう遠くにいってみたい広がっていきたいという気持ちに応えたいというだけなんです。もちろん、育種や種の販売にかかわる方々の積み重ねと権利に心からの敬意を払って。

これから先また考えが変わるかもしれませんが、少なくともいまの私はこう思っています。

 

 

写真/藤田和俊

種をあやす

種をあやす

2023年08月18日

長崎・雲仙の岩崎さんといえば、自分たちのような農家で知らない人はいないであろう農家さんです。

大好きな野菜農家さんが岩崎さんの畑を見て野菜を食べたとき、恐縮ながら自分たちの道のずっと先にいる新しい師匠に出会ったように思ったよ、と教えてくれたのをよく覚えています。それ以来、いつかその畑に行ってみたいなという気持ちと、いやでもさすがにちょっと恐れ多いなという気持ちの両方を抱いています。

この本を読んで感じたことを、せっかくだから言葉にしておきたいと思いました。

 

最後のページを閉じて真っ先に思ったのは地味だなということ、そしてだからこそ、誇張も脚色もないこれが本物の言葉なんだなと思いました。岩崎さんといえば農業界のレジェンドのひとりです。先に出た農家さんは、同じ野菜農家として見て岩崎さんのすごさは作業の速さだと言っていました。自分だったら数手かかる一つの作業を岩崎さんは一手でやると。その場にいてもきっと私には見えませんが、そういう確固たる技術があるからこそ、専業農家として40年、50種類の在来種の種を採りつづけてこれたんだと思うと聞きました。そんな岩崎さんの言葉が、初めは自分が採った種に自信がなくて市販の種のなかに一列だけ蒔いたとか、種をあやす行為が恥ずかしくて人目につかないよう山や川の土手でひっそりとやっていたとかなのです。でも、というかだからこそ、十何年ものあいだ見てきた大根の花に、ある日突然深い感銘を受けたという言葉に自分も心が震えました。

「花を見て、これが野菜のもっとも美しい瞬間だと感じる心こそ、農民にとって大切なもののように感じます」

この本を端的に紹介するなら、きっとこの一節を選びます。人が食べる目的で育てる野菜の、その先で種をつなげるために咲かせる花の美しさに心を動かされることが、岩崎さんの農業なんだと思いました。

 

それから、野菜と穀物はぜんぜん違うなということ。穀物は食べるものがそのまま種なので、ある意味では収穫がそのまま種採りです。もちろん種採りの技術はあるけれど、自分たちのような種類の穀物農家には種を採りつづけることは当たり前の行為です。でも野菜は違います。私が唯一、家庭菜園で経験のある種採りは人参です。よい頃合いで人参を抜いて、いいものを選んで植え戻し、花が咲くのを待ってから種をとります。庭の一角が人参の白くささやかな花でいっぱいになり、なんていい風景なんだろうと思いながら、でも営農ベースでこれを続けるのは大変だなと思いました。岩崎さんも生易しいものではないと書いていたけれど、自分にはとてもとてもできません。

でもその一方で、さっき書いたこととも矛盾するのですが、なんかいいなぁって羨ましく思いました。岩崎さんが夢中になった野菜との関わりを、穀物とはまたぜんぜん違った関わりを、自分もやってみたいです。営農するほどの規模ではできないから家庭菜園として小さくでも、蒔いた種が、土から芽を出して、大きく育って、咲かせる花を一つひとつ自分も見てみたいです。畑をちょっとあけて、できれば来年の春から少しずつ、楽しみになってきました。心の動く本でした。

 

そもそもこの本を手にしたのは、『はじまりの味噌』についてもっと深く考えたいと思ったからでした。私が在来種の稲を育てて(いつかは大豆も)、藤原みそこうじ店さんが野生菌を採って、玄米みそをつくるこの取り組み。これまで10種類ほどの在来種の稲を育ててきましたが、その難しさや美しさもすこしずつわかってきました。明確においしくないなぁと思ってしまうことの多い在来種のお米も、野生菌でお味噌にしたら他のどんなお米でできたお味噌よりもおいしくなるかもしれません。もしそうなれば、きっと新しく残していける在来種の稲が増えていきます。穀物と野菜とは違えど、在来種とは何なのか、在来種を守るとはどういうことなのか、岩崎さんの言葉にきっとヒントがあるんじゃないかと思いました。でも読んでみての感想は、正直ぜんぜん考えが及んでいなかったな〜〜ということでした。とても長くなってしまうのでこの話はまた別の機会にしますが、どうしたものかなぁと大きな宿題を頂いた気分です。

 

最後に、勝手ながら写真集をつくってほしいなと思いました。大判で、その色とりどりの野菜や花を見ることができたらいいなぁと。どなたか、ぜひ!

2023年の稲作を振り返ってみる立秋

2023年の稲作を振り返ってみる立秋

2023年08月08日

立秋となると暑さも和らいで、季節がかわり始めているのを感じます。暦はすごいですね。

 

心身ともに一番尽くしているからこそなのか、稲のことはなかなかうまく書けません。豆や麦と違って作業工程も多くて、何がどう秋の収穫に関係するのか正直わかりません。個人的には水も大切で、いつからいつまでどうやって出し入れするか、深さをどうするかなどなど、ほんとうに難しいです。仮に昨年と同じにしたくても、技術的にも天候的にもいろいろな事情でできません。2年前の冬に読んだ『刃物たるべく』という重厚な技術職人の本のなかにあった、技術とは単調であるべきといったお話を思い出し、技術者としての未熟さをふつふつと思います。

 

春は娘が産まれて、ひとりの人間としてはきっと人生で一番幸せな瞬間のひとつでした。もうとにかく、ほんとうにすごく愛おしいです。一方で、いち仕事人としては、あっちゃ〜〜という日々を過ごしていました。それでもどうにか季節に寄り添って、精一杯の夏を越え、いまはもう田んぼに入ることもありません。

 

その春のあっちゃ〜〜をちゃんと書くと大きく2つで、まず苗づくりでは1/3の苗箱が田植え機ではつかえず補植専用になりました。つかえる苗箱が少ないので予定より株間を広げてなお半分の田んぼが一部スカスカで、それに伴って草も多いです。苗代をフカフカの土にしたかったから昨年エンバクを蒔いてみたら土質がガラッと変わり、その変化に対応できず苗づくりがうまくできませんでした。それと春の耕起も代かきも遅く回数も少なかったです。昨年の稲わらを分解したくて春は何度か耕起したかったのですが、スズメノテッポウが残ったまま田植えをしました。田んぼの均平に勝る技術はそうそう無いので代かきをしながら高低差をなおしたかったのですがそれも叶わずでした。

 

それでも今年はもう失敗だった!!とまではっきり思えないのは、これはこれで一つの経験だよなぁとも思うからです。今年のことも、いつもだったら怖くてできないギリギリを試せたわけだし、苗代も新しいことをやってみたらこうなるんだとわかったということです。それと、変な話ですがよくできたときってあまりピンとくるものもないんです。でも思ったとおりにいかなかったときに得るものってけっこう確からしい感覚があります。

 

春は思ったようには関われなかったけど、夏はだいたいやり切りました。チェーン除草を1周、動力の中耕除草を5周、1枚の田んぼでは手で草をとりきって、しっかりめの中干しをして、田んぼの低いところを中心に溝切りをしました。やってみての反省はもちろんあるけれど、やろうとしたことをやれたのはよかったです。技術的に次に進める感覚があるからです。そう!やってみたかったことをやれないと、来年も同じことを「やってみたい」で終わっちゃって次にいけないんですよね。それが1年後だから悔しいんです。春はやってみたくはなかったことをやっちゃったけど、それはそれで新しくてよかったということです。

 

体はいつもくったくただし、落ち込んだりホッとしたりで心の上下運動もひっきりなしでしたが、田んぼに毎日夢中だったいい春と夏でした。自分たちの今年がつまったお米になると思います。収穫まであと2ヶ月、どうぞ一緒に楽しみにしていてくださいね。