苗代をどうしようかの旅6年分

2024年07月19日

苗代(なわしろ)は稲の苗を育てるところです。農業には「苗半作」という言葉があって、苗の良し悪しでその年の結果が半分くらいは決まるよという意味です。それくらい大切な苗を育てる苗代をどうするか、まだまだ道半ばもいいところですが、この6年で試みてみたアレコレを整理してみました。

 

前提として私は保温折衷苗代という方法で育苗をしています。もともとは長野県で開発されたもので、寒冷地で冷害を避けるために早く田植えをするための技術です。当時では田んぼに苗床をつくり種をまき、その上に籾殻くん炭をまいてから油紙で覆うというものだったそうです。私の場合はそれを原型として、小さな田んぼに畝を立ててその上に苗箱を置き、ビニールシートや不織布などの保温被覆資材をつかっていました。

 

第一期

2019年-2021年までの3年間(1年目〜3年目)。このときは家のすぐ近くにほどよく小さい田んぼがなくて、研修でお世話になった蒜山耕藝さんの4畝ほどの小さな田んぼをお借りしていました。

・保温資材はやめてみた

いわゆる寒冷地の蒜山では種を蒔いたあとも霜が降りるほどに温度の下がる朝もあります。特に夜の冷え込みから苗を守るために、保温資材をつかうことが基本となっています。私も1年目はいろいろと使ってみました。ただ大変なんですよね…。置くのも大変、片付けるのも大変、ビニールでトンネルにしていれば毎日の開閉はものすごく大変です。それから、自分が大変すぎず苗にもちゃんと意味があるものが何か調べようと思って、2年目には畝ごとに異なる資材をつかって比較してみました。結果的に、資材があれば確かに成長は早そうだけど、田植えの頃には大きな違いはなかったし、稲刈りの頃にはその違いをまったく感じませんでした。自分の比較方法が甘かったり、その年はたまたまそうだった可能性もありますが、保温資材はなくてもいいんじゃないかなと思うようになりました。

・温水田をはじめてみた

同じ流れで、1年目が終わった冬のあいだ、今ほどには保温資材がなかった昔はどうしていたんだろうと疑問に思い、いろいろな本を読んでみました。そこで温水田(おんすいでん)という技術を見つけました。苗代のなかに畔(あぜ)をつくって半分に区切り、入水側で水をためてそこで温まった水を苗がある方に流すという方法です。冷たい川水を直接苗にあてないための寒冷地で培った知恵でした。これはいいかも!と思って、2年目から始めてみました。ちゃんと水をためて温めるために毎年ちょっとした試行錯誤は続いていますが、苗にあたる水はほんとうに温まっているし個人的には好きな技術で今でもずっと続けています。

・いい種まきの日を探している

それらと並行して、種まきの日も毎年5日ずつくらいずらしていました。1年目は4月20日、2年目は4月25日、3年目は4月29日。4月といっても蒜山ではまだまだ寒い日が多く、家ではストーブでの暖が欠かせません。それで、ゆるやかに暖かさを感じはじめる28日前後がいいかな、という感触を得ています。ただその頃はちょうどゴールデンウィークです。祝日には作業ができないので、平日で天気のよさそうな日でという条件のもと、現実的な日取りを毎年選んでいます。

 

第二期

2022-2024年までの3年間(4年目〜6年目)。家の近くに小さな田んぼを借りられて苗代を引っ越しました。家から歩いて行けるので、子どもと一緒に行けたり猫も遊びに来てくれたりとてもありがたいです。田植えのときも苗代から田んぼに苗をたくさん運ぶので、そういう意味でも家の近くにあるのはいいことです。と言っても、初めての田んぼでいきなり苗代はちょっと不安だったので、3年目の年に稲を育ててみて、なんとなく田んぼの雰囲気を感じてから4年目の年に苗代にしました。

 

・緑肥をやってみている

それまでの3年間、田植えが終わったあとは草がのびたら刈るのを年に2〜3回するだけで、他には何もしていませんでした。ただ生えてくる草の勢いが年々衰えている気がしていました。草を元気いっぱいにしたいわけではないけれど、なんというか、土の元気がなくなっているような感じがあったのです。それは苗箱をおいておくことか、苗を育てることか、詳細はわからないけれどそういった行為が土に負担をかけているのかなと想像しました。

では、土を元気にするにはどうしたらいいのか。そして、そうか、これは農家それぞれが持つ根源的な農業観の話なんだなと気が付きました。自分は土について作物について、ほんとうのところどう考えているんだろうと改めて問い直してみると、「作物を育てることで土が育っていく、土が育つことで作物が育っていく」、そんな意識が根底にあるように思いました。そしてそれは作物の残渣を土に返すということもそうなんだけど、どちらかといえば作物が育つ過程でその根っこが土や菌になんらかの影響を与えているというイメージがあります。それで緑肥です。いろいろ調べた結果、エンバク(オーツ麦)をまずは試してみることにしました。

 

4年目。この田んぼで初めての苗代だったので、また溝をほって畝をたてて水平をとって、と1年目と変わらない作業をしました。振り返ればこの年は過去一番の苗ができたような気もします。そして田植えが終わったあとに、急いで苗箱や資材を片付けて、緑肥としてエンバクを育てました。6月播種はすこし時期外れなこともあるからか、8月ごろに穂が出てきます。それを刈って、もう一度播種して、次は11月ごろ雪が降りはじめる前に刈り倒しておきました。一般的にエンバクは背の高い作物ですが、6月播種したものは膝にも届かないくらいで、8月播種したものは膝上くらいでした。うーん、あまり育たたないなぁという所感でした。

 

5年目。春に苗代の土を触って驚きました。土の感じがぜんぜん違うのです。それまでは田んぼの土らしい水気をたっぷり含んだゴロッとした土塊でしたが、びっくりするくらいサラッとしていました。触っているのが心地よいのです。エンバクがあまり育たたなかったのが気がかりだったけれど、根っこの力はすごいなと思いました。

しかし本当に驚いたのはその後、過去一番の良くない苗になってしまったのです。まず芽がぜんぜん出ませんでした。田植え機でつかえる苗箱は全体の半分ほどでした。はっきりとした理由はわかりませんが、とにかく水はけが良すぎて入水をとめるとすぐに落水していき、土がものすごく固く締まっていました。芽が出なかった箇所はヒビ割れもしていました。おそらく締まった土と苗箱が離れてしまい、水分不足で発芽できなかったのだと思いました。田植えは大変だったし秋の収穫量もすごく少なかったです。ただ、エンバクはやめませんでした。1年だけだとやっぱりわからないし、良いか悪いかはわからないけどなんらかの変化は感じたので、もう少し試してみたかったのです。前年同様、6月と8月にそれぞれ播種しました。そして8月の分では腰ほどの背丈まで育っていました。エンバクにとっては心地の良い土に変わっていったようです。問題はそれが稲の育苗にとって良いことなのか、です。

 

6年目、今年のお話です。前年と同じように春の土はサラサラしていました。手痛い反省を活かし、土が締まり過ぎないように、水を切らさないようにと各作業工程でつよく意識しました。結果的に、いくつかの苗箱では芽が出ないこともありましたが、前年と比べれば大問題にはなりませんでした。ただやっぱり土の乾きがよすぎることが気になりました。そんなある日、(たしか熱を出して布団に籠もっていたとき)、新しい手を思いついたのです。

緑肥は続けてみたい、でもエンバクは稲の育苗には課題を感じなくもない、となると緑肥として苗代で稲を育てるのはどうだろう?と。苗代に水を張り続けることになるし、稲の根は水根っぽい感じもある。それにここを初めて苗代にしたときは調子がよかったけど、その前年は稲を育てていました。苗代を固定せず、稲を育てた翌年を苗代にすることにしてぐるぐるローテーションにしている人がいるような話をどこかで聞いたような記憶もありました(すごく曖昧)。ただ苗代で稲を育てるって思いつきそうなものだけど、聞いたことがない。なにか問題があるのかな〜〜、うまくいくかわからないしエンバクももう少し続けてみたい〜〜、でも思いついたからには気になる〜〜、やってみたい〜〜〜と毎日悩み、結局やってみています。田植えが終わってから急いで苗代を片付けて、それから畝を耕し代かきをして田植え機を走らせました。この稲ももちろん収穫はしますが、一番の目的は稲の根による土の変化です。(田植えをしてから、この規模なら不耕起で手植えをしてもよかったのかな?とまた新しい考えも浮かんできました)

 

それでどうなるかは現状さっぱりわかりません。来年の春に土を触ってみてどう感じるのか、そこで苗を育ててみてどう感じるか、そしてもちろんその苗でどんな稲が育っていくのかを見て考えることです。この取り組みのひとまずの結果が出るのも来年の秋だし、それだってまだまだ途上です。一年で感じる変化と、何年も続けていった変化はまたぜんぜん違うものです。土や種に区切りなんてほんとうは無いような気もします。農家になってから「何らかの取り組みに対する結果が出る」という考え方自体が、けっこう短期的で人間的なものなんだなとよく思います。とはいえ、一人間としては毎年の収穫は生活にとても影響があるので大事にはしつつ、でも大事にはし過ぎないという気持ちをバランスよくもって向き合っていたいなぁと思います。

 

 

写真/藤田和俊

穀物農家の種とのかかわり

2023年10月02日

種は命そのもので、それが育っていくには時間がかかります。私の経験だけでいえば、少量から始めて本格的な栽培に至るまでに、稲なら2〜3年、麦なら5年かかっています。大豆は今年から始めていますが、きっと同じくらいの時間を要するんじゃないかと思っています。そしてその間は経済的に得るものはなく時間と手間だけがかかるので、それなりの覚悟と根気のいる取り組みです。種は大変で、そして大切なものなんだと心の底から思います。

 

なので、そんな種は努力の結晶であり簡単に譲り渡すことはできないという考えは容易に理解ができます。そんな声を何度も見たことがあるし、その苦労を少しは想像できるようにもなりました。ほんとうにその通りだと思います。そんなセンシティブなものだからこそ、私もだれかに、種を譲ってほしいんですと簡単には言えません。いろいろなことを調べに調べて、育ててみないと自分にも土地にもあうかわからないというのは重々承知の上で、それでもどうしても試してみたくて、どうしてもその人にお願いしないといけないんだと、心のなかで対話と熟考を重ねてようやく声をかけることができたりします(できなかったことも何度もあります)。そしてそのときにはいつも不安で怖くなり、どこか申し訳なさでいっぱいにもなります。

 

でもその一方で、自分が持っている種を譲ることにはぜんぜん抵抗がありません。むしろ、それが大変な思いをして大切であればあるほどにそうだし、仮にその地でうまくいかったとしてもどうこう思うこともありません(翌年また挑戦したいと言われれば、ぜひお願いしますと何度でも譲りたいとも思っています)。ある種の矛盾ではあって、自分のこの気持ちは何なんだろうとずっと考えてきましたが、最近ようやくわかってきました。それはもし自分が種だったとしたら、きっといろいろなところに行ってみたいと思うからなんです。種とはそういうものなんだと。そして穀物農家である私はその種を食べ、食べてもらい、そうやって暮らしを成り立たせています。文字通り、誰よりも種に生かされているのだからこそ、自分が想像できる限りの、種にとってのいい関わりをしていけたらと思っているんです。だから譲り手の方がどうというわけではなく、種がきっと望むであろう遠くにいってみたい広がっていきたいという気持ちに応えたいというだけなんです。もちろん、育種や種の販売にかかわる方々の積み重ねと権利に心からの敬意を払って。

これから先また考えが変わるかもしれませんが、少なくともいまの私はこう思っています。

 

 

写真/藤田和俊

2023年の稲作を振り返ってみる立秋

2023年08月08日

立秋となると暑さも和らいで、季節がかわり始めているのを感じます。暦はすごいですね。

 

心身ともに一番尽くしているからこそなのか、稲のことはなかなかうまく書けません。豆や麦と違って作業工程も多くて、何がどう秋の収穫に関係するのか正直わかりません。個人的には水も大切で、いつからいつまでどうやって出し入れするか、深さをどうするかなどなど、ほんとうに難しいです。仮に昨年と同じにしたくても、技術的にも天候的にもいろいろな事情でできません。2年前の冬に読んだ『刃物たるべく』という重厚な技術職人の本のなかにあった、技術とは単調であるべきといったお話を思い出し、技術者としての未熟さをふつふつと思います。

 

春は娘が産まれて、ひとりの人間としてはきっと人生で一番幸せな瞬間のひとつでした。もうとにかく、ほんとうにすごく愛おしいです。一方で、いち仕事人としては、あっちゃ〜〜という日々を過ごしていました。それでもどうにか季節に寄り添って、精一杯の夏を越え、いまはもう田んぼに入ることもありません。

 

その春のあっちゃ〜〜をちゃんと書くと大きく2つで、まず苗づくりでは1/3の苗箱が田植え機ではつかえず補植専用になりました。つかえる苗箱が少ないので予定より株間を広げてなお半分の田んぼが一部スカスカで、それに伴って草も多いです。苗代をフカフカの土にしたかったから昨年エンバクを蒔いてみたら土質がガラッと変わり、その変化に対応できず苗づくりがうまくできませんでした。それと春の耕起も代かきも遅く回数も少なかったです。昨年の稲わらを分解したくて春は何度か耕起したかったのですが、スズメノテッポウが残ったまま田植えをしました。田んぼの均平に勝る技術はそうそう無いので代かきをしながら高低差をなおしたかったのですがそれも叶わずでした。

 

それでも今年はもう失敗だった!!とまではっきり思えないのは、これはこれで一つの経験だよなぁとも思うからです。今年のことも、いつもだったら怖くてできないギリギリを試せたわけだし、苗代も新しいことをやってみたらこうなるんだとわかったということです。それと、変な話ですがよくできたときってあまりピンとくるものもないんです。でも思ったとおりにいかなかったときに得るものってけっこう確からしい感覚があります。

 

春は思ったようには関われなかったけど、夏はだいたいやり切りました。チェーン除草を1周、動力の中耕除草を5周、1枚の田んぼでは手で草をとりきって、しっかりめの中干しをして、田んぼの低いところを中心に溝切りをしました。やってみての反省はもちろんあるけれど、やろうとしたことをやれたのはよかったです。技術的に次に進める感覚があるからです。そう!やってみたかったことをやれないと、来年も同じことを「やってみたい」で終わっちゃって次にいけないんですよね。それが1年後だから悔しいんです。春はやってみたくはなかったことをやっちゃったけど、それはそれで新しくてよかったということです。

 

体はいつもくったくただし、落ち込んだりホッとしたりで心の上下運動もひっきりなしでしたが、田んぼに毎日夢中だったいい春と夏でした。自分たちの今年がつまったお米になると思います。収穫まであと2ヶ月、どうぞ一緒に楽しみにしていてくださいね。