2024年のふり返り|穀物栽培について
2024年12月26日
2024年もあと数日、今年はどんな一年だったかなぁとふり返ってみます。内容は主に栽培のこと、技術的なことです。農業に関わっていない方でも読めるようには意識しましたが、基本的には自分のメモとして書きました。
|水稲
今年はササニシキ、亀の尾、こがねもちという安定の3品種。結果だけ見れば過去最高の反収で、総量も今までにないほどでした。この結果についていろいろ思うことはありますが、大きく2つの要因があるのかなと感じています。
まず、苗をちゃんとたくさん植えたということです。この6年間すべての田んぼで欠株がなくなったこと自体が初めてだし、今までより植える間隔を狭くしたのです。たくさん植えるとたくさん実る、というシンプルで力強い方程式にただただ驚きました。えっ、そこから?と思われるかもしれませんが、そんなこともままならないのが新規就農者、というと他のすごい方に失礼かもしれないので、わたしだったのです。そうした基本的なことすら、できるようになるのに何年もかかります。
苗代のこと、秋起こしや春起こし、代かき、溝掘りなどなど、あれもこれも精一杯やるけれど、とにかくちゃんと植えることをもっと意識しようと思いました。そのためにはいい苗をつくるのはもちろん、もう純粋にいろいろな人に助けてもらうのも今の自分には大切です。来年もどうぞよろしくお願いします、ともうお願いしてしまいます。それと今年はデモ機として新型の田植え機にすこし乗せてもらいました。苗が転ぶことなくさくさく植えられてびっくりしました。技術不足を機械のせいにしてはいけないけれど、機械をちゃんとするのも大切だなと痛感しました。これはまたお金のかかることなので、いつかきっとと思っています。
それから、もうひとつの要因は安定した品種しか育てていなかったということです。「はじまりの味噌」のためにお試しで育てる在来種は不安定なことが多いのですが、それも少量しかない年だったので田んぼの隅っこに植えただけです。もち米も収穫量がまだぜんぜんとれない太郎兵衛糯をやめて、こがねもちだけにしました。ここまでの豊作は予想もできませんでしたが、はじめから冒険やリスクの少ない年ではありました。
|大豆
今年は2品種を育てました。いつものサチユタカと、岡山在来の日の丸大豆をすこしだけ。作付面積を減らしたので総量は多くありませんが、反収でいえばとてもよかったと思います。思います、というのはまだ選別を経ていないので実際はわからないのです。ひとまずサチユタカに関しては、畑での手応えはあったし収穫後の持ち込み重量も多かった、そこまではわかっています。ただ選別をしたら製品にならないような品質のものばかり!という可能性もあるので、それが心配です。年明けにはわかると思うので、もうすこしですね。
よい結果になった理由はシンプルでいい圃場を選んだからです。なので正直なところ、こう言うと偉そうなのですが、やる前からある程度は想像できていた結果です。逆にいうと、ここ数年のわたしの場合はいい圃場を選べなかったことがこれまでずっと続いてきた不作の根本原因だったと考えています。
わたしが住んでいる蒜山中和村では畑はあまり無くて、ほとんどが田んぼです。水を溜めるための土になっている田んぼで、なかば強引に排水性が大切になる大豆や麦を育てています。そもそも自分の都合でちょっと無理をしているのです。そしてどれだけいい結果になったとしても、ある面積で期待できる大豆の売上はお米にした場合の1/3ほど。大豆栽培は作業量が少ないのも事実ですが、どうしてもお米を優先にしたほうがよいと考えてしまいます。
そうして、お借りしている農地のなかではとても良いとは感じていないところで大豆を育てることになります。そして、やっぱりいい結果にならないことがたびたび起きています。こんなことを何年もやってみて、これはもう構造的な課題なんだと思い至りました。そしてそれを変えない限り、単年で見ればいいときもあるけど同じことを繰り返す可能性のほうが高いんだと。
そうして迎えた昨年の冬、家の近くで条件のよい田んぼをお借りできることになり、悩んだ末にそこでは大豆を育てようと決めました。日当たりもよく排水性もよく獣の被害もほとんど聞かない、そんな圃場です。よほどのことがない限り、今年はきっと大丈夫だろうと思って春を迎えていました。大豆の管理としては、正直なところぜんぜんうまくいきませんでした。タイミングがあわず、いつもできている最低限の作業さえできませんでした。技術的には反省ばかりの一年でしたが、そんなわたしのミスもなんのそので育ってくれた、そんな圃場を選べたことが今年の豊作の一番の理由だと思っています。
それから日の丸大豆について。2年目の栽培でしたが、これまた難しいのか実は楽なのかよくわかりませんでした。播種してからぐんぐん伸びていき、夏ごろから地生えのようになります。周りの草もほとんどを覆い隠して消してしまう強さがあります。一方で収穫が大変です。汎用コンバインは難しそうだなと思っていたので、草刈り機で刈り倒し、ビーンスレッシャーで脱穀という流れです。汎用コンバインなら恐らく1時間もかからない面積を、そうした手作業だとまる2日間ほど。大変だけどやれないこともない微妙なところです。さらには粒の形が平べったい丸なので、委託先では機械選別ができないこともわかりました。冬のあいだせっせと手選別です。こうして書きながら考えていると、やっぱりすごく大変ですね。それも無数にある在来大豆のなかでもかなり大変な部類に入るのかなと思います。とにかく機械作業との相性がよくない。日の丸大豆、、すごくきれいなのですが、どうしたものかなぁという所感です。
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と、ここまで書くと、いろいろあったけどすごくいい年だったんだね!と思われます。ただ、そんな思ったようにはいかないのが禾の農業です。いきます。
|麦
大麦はおやすみしているので古代小麦のみ。昨年の秋に播種して夏に収穫した分と、今年の秋に播種するはずだった分と2つあります。結論からいうと、どちらもひどい結果でした。
まず昨年の秋に播種した分は3枚あった圃場のうち2枚、作付面積の6〜7割の収穫がゼロでした。収穫できた1枚もコンバインの部品を壊してしまい大変は大変でしたが、前年どおりの結果でした。収穫もできなかった2枚はもっと大変で、端的にいえば小麦は生育不良だし草が繁茂していてコンバインで入ることも諦めました。
それも大豆が良い結果だったのと同じように、昨年播種をする前からある程度の結果はわかっていたようにも思います。ここ数年の小麦播種までの流れは、6月に緑肥セスバニア播種、8月にモアで粉砕、ロータリーですき込み、整地、10月に播種が基本でした。ただ8月にモアで粉砕せずロータリーですき込んだらどうなるんだろう?という疑問が湧いてしまったのです。調べてみると、そうやって管理されている方がそれなりにいらっしゃいます。モアは自分のものではなくいつもお借りしていたものなので、自前の機械だけでできるならその方がいいよねという考えもあり、まぁやってみるかとなったのです。
セスバニアは背丈ほどに大きく硬く育つ緑肥です。そこでいきなりロータリーをかけてもまぁなかなかすき込めませんでした。いつもならモアのあとは2回しかかけないロータリーを、どれだけやったら播種できる圃場になるのかな、、と繰り返し4回ほどかけることになりました。結果的に土が細かくなり過ぎてしまい大雨にあたってずぶずぶに、うわ〜…と思いながらどうにか播種するも初期生育も芳しくなく。まわりの草がどんどん育ち、秋の土寄せもあまり効果なく(ちょうど管理機も壊れ…)、そのまま雪に埋もれて春に。雪解け後も生育不良はつづき、手当のしようもなくそのまま草が繁茂する圃場になってしまった、という流れです。
今までも何回か試したいつもの流れでやればよかったのです。それである程度はできていたのです。わざわざ違う、リスクのある変なことをする理由はありませんでした。ただ、こうしたらどうなるんだろう?と思いついてしまったし、思いついてしまったら知りたいしやってみたいのです。心の中のジョージを抑えられませんでした。自分も知りたがりやのこざるなのです。。
つぎは必ずモアをお借りしようと心に誓ったのですが、この秋は播種すらできませんでした。来年の収穫もゼロと決まっています。以前もどこかで書いた立毛間栽培をやろうと決めていて、それができなかったというお話です。
大豆のあいだに小麦を蒔いて小麦のあいだに大豆を蒔く、管理機での土寄せはたぶんするけど基本は不耕起にする、小さい面積をギュッと丁寧に管理して毎年2つの実りを得る、そんな夢のルーティンを確立したいと昨年のこざるは思いついたのでした。そうして6月に大豆を播種してからがんばって管理しつつ夏をこえて秋になり、落葉する前に手押しの播種機で小麦をという考えでした。でも正直なところ、肝心の落葉時期をいまいちわかっていませんでした。ここだけの話ですが、いつも気がつけばそうなっているのです。
大豆に意識を向けつつも、9月も下旬になりお米収穫の日々がはじまります。天気を見ながらできる日にえいやとやっていくので、いったん始めればもうそれ以外のことは何も考えられません。今年もワーワーしながら収穫も終わり、来年に向けた種採りもして、機械を掃除したり販売の準備をしたり、あれもこれもとドタバタしながら毎日を過ごし、ふぅと思ってふと大豆を見に行くとみんな落葉していたのです。そっかと、お米の収穫時期に落葉しているから、その瞬間を意識して確認したことがなかったのかと。
なるほどね〜!とすごい腹落ちをしつつも、落葉したら播種機を通せるのか問題があります。あちゃ〜と思いながら試してみた結果、落ち葉をどかしてすこし整地すれば播種はできる、落ち葉をどかして整地するのはかなり時間がかかる、落ち葉をどかさないと播種機が詰まるからできない、播種機を諦めて落ち葉の上からパラパラと小麦を蒔いてもほとんど芽は出ない、ということがわかりました。写真は1筋だけ落ち葉をどかして播種したところ、これを全面につくりたかったのに…。とにかく人手をかけさえすればどうにかできたのだろうけど、晴れ日も少なく他にやることもたくさんあって今年は諦めました。
そんなわけで今年の小麦はこの1筋だけです。これだけ育てても仕方ないので春になったらすき込みます。農家1年目から毎年せっせと種を増やしてきた古代小麦も、夏にガクッと収穫量が下がり、種は残してあるとはいえ来年の収穫量はゼロです。自分のやってきた積み重ねとはいえ、とても落ち込んでいます。
とはいえ、この立毛間栽培はまだ諦めていません。昨年はほんとうにただの思いつきで、正直なところどうなるか全くわかっていませんでしたが、いまは多少の知見があります。これはまずい、あれは大変なことになる、という具体的な失敗要因を理解しています。次はどうしたらこれを避けられるかを考えてまたやってみる、すると残念ながらきっと新しい失敗をする。それを何度も繰り返し、修正して、いつかある程度の範囲におさまって納得のいく結果が出る、かもしれない。いつかうまくいくのかすらわからないけど、それをわかるための道もこれしかないのだとわかっています。
先に書いた通り日の丸大豆では絶対にできないこともわかったし、大豆の連作を避けたい気持ちもあったり、いろいろむずかしいのですが、この冬のあいだに大豆と麦にどう向き合えばよいか作付パズルを考えます。
|小豆
シンプルにすべてを諦めて何もしませんでした。ここ数年はいつも自家用にと大納言小豆を、わくさんのお味噌にとヤブツルアズキを育てていました。小さな畑とはいえ、年間を通して1週間ほどは時間をかけていたと思います。それくらいの余裕は持っていたいという願いもあって続けていましたが、今年はいろいろ大変だろうとわかっていたのでやる前から諦めていました。なので書くことは何もありませんが、こうした小さなことも削ぎ落としていった上でのいろいろです。
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誰かに読んでもらう意識もないメモのつもりで書きましたが、よかったことも大いにあるし、よくなかったことも大いにある。そのどれもが、自分のなかのうれしいもかなしいも含めたあらゆる感情の源泉だったし、この身に深々と刻まれた一次体験であった、そんなことを改めて感じました。
それに書いてみたからの発見もあって、それはどれもシンプルなことばかりで結局のところ自分のなかで安定してきた部分と不安定な部分があるんだなということです。いろいろ振り切って幅を広げてみて、どこからどこまでがいい範囲なのか、ちょうどよいのはどのあたりか、そんなことをずっと探っているのだと思います。そしてその根っこには、現状うまくいっていないという焦りが間違いなくあって、どこかはわからないけどとにかくどこかに移動しないといけない!というジタバタとした積み重ねでした。なので、今きっとすこしホッとしています。少なくとも一度は着地できたなという気分です。
とはいえ、来年も同じように見込めるとは思っていません。来年には来年の気候があり、来年の土と種があります。自分も来年の自分になっています。冬のあいだにしっかりと準備をして、春からはまた新しいジタバタをやっていけたらと思っています。
苗代をどうしようかの旅6年分
2024年07月19日
苗代(なわしろ)は稲の苗を育てるところです。農業には「苗半作」という言葉があって、苗の良し悪しでその年の結果が半分くらいは決まるよという意味です。それくらい大切な苗を育てる苗代をどうするか、まだまだ道半ばもいいところですが、この6年で試みてみたアレコレを整理してみました。
前提として私は保温折衷苗代という方法で育苗をしています。もともとは長野県で開発されたもので、寒冷地で冷害を避けるために早く田植えをするための技術です。当時では田んぼに苗床をつくり種をまき、その上に籾殻くん炭をまいてから油紙で覆うというものだったそうです。私の場合はそれを原型として、小さな田んぼに畝を立ててその上に苗箱を置き、ビニールシートや不織布などの保温被覆資材をつかっていました。
第一期
2019年-2021年までの3年間(1年目〜3年目)。このときは家のすぐ近くにほどよく小さい田んぼがなくて、研修でお世話になった蒜山耕藝さんの4畝ほどの小さな田んぼをお借りしていました。
・保温資材はやめてみた
いわゆる寒冷地の蒜山では種を蒔いたあとも霜が降りるほどに温度の下がる朝もあります。特に夜の冷え込みから苗を守るために、保温資材をつかうことが基本となっています。私も1年目はいろいろと使ってみました。ただ大変なんですよね…。置くのも大変、片付けるのも大変、ビニールでトンネルにしていれば毎日の開閉はものすごく大変です。それから、自分が大変すぎず苗にもちゃんと意味があるものが何か調べようと思って、2年目には畝ごとに異なる資材をつかって比較してみました。結果的に、資材があれば確かに成長は早そうだけど、田植えの頃には大きな違いはなかったし、稲刈りの頃にはその違いをまったく感じませんでした。自分の比較方法が甘かったり、その年はたまたまそうだった可能性もありますが、保温資材はなくてもいいんじゃないかなと思うようになりました。
・温水田をはじめてみた
同じ流れで、1年目が終わった冬のあいだ、今ほどには保温資材がなかった昔はどうしていたんだろうと疑問に思い、いろいろな本を読んでみました。そこで温水田(おんすいでん)という技術を見つけました。苗代のなかに畔(あぜ)をつくって半分に区切り、入水側で水をためてそこで温まった水を苗がある方に流すという方法です。冷たい川水を直接苗にあてないための寒冷地で培った知恵でした。これはいいかも!と思って、2年目から始めてみました。ちゃんと水をためて温めるために毎年ちょっとした試行錯誤は続いていますが、苗にあたる水はほんとうに温まっているし個人的には好きな技術で今でもずっと続けています。
・いい種まきの日を探している
それらと並行して、種まきの日も毎年5日ずつくらいずらしていました。1年目は4月20日、2年目は4月25日、3年目は4月29日。4月といっても蒜山ではまだまだ寒い日が多く、家ではストーブでの暖が欠かせません。それで、ゆるやかに暖かさを感じはじめる28日前後がいいかな、という感触を得ています。ただその頃はちょうどゴールデンウィークです。祝日には作業ができないので、平日で天気のよさそうな日でという条件のもと、現実的な日取りを毎年選んでいます。
第二期
2022-2024年までの3年間(4年目〜6年目)。家の近くに小さな田んぼを借りられて苗代を引っ越しました。家から歩いて行けるので、子どもと一緒に行けたり猫も遊びに来てくれたりとてもありがたいです。田植えのときも苗代から田んぼに苗をたくさん運ぶので、そういう意味でも家の近くにあるのはいいことです。と言っても、初めての田んぼでいきなり苗代はちょっと不安だったので、3年目の年に稲を育ててみて、なんとなく田んぼの雰囲気を感じてから4年目の年に苗代にしました。
・緑肥をやってみている
それまでの3年間、田植えが終わったあとは草がのびたら刈るのを年に2〜3回するだけで、他には何もしていませんでした。ただ生えてくる草の勢いが年々衰えている気がしていました。草を元気いっぱいにしたいわけではないけれど、なんというか、土の元気がなくなっているような感じがあったのです。それは苗箱をおいておくことか、苗を育てることか、詳細はわからないけれどそういった行為が土に負担をかけているのかなと想像しました。
では、土を元気にするにはどうしたらいいのか。そして、そうか、これは農家それぞれが持つ根源的な農業観の話なんだなと気が付きました。自分は土について作物について、ほんとうのところどう考えているんだろうと改めて問い直してみると、「作物を育てることで土が育っていく、土が育つことで作物が育っていく」、そんな意識が根底にあるように思いました。そしてそれは作物の残渣を土に返すということもそうなんだけど、どちらかといえば作物が育つ過程でその根っこが土や菌になんらかの影響を与えているというイメージがあります。それで緑肥です。いろいろ調べた結果、エンバク(オーツ麦)をまずは試してみることにしました。
4年目。この田んぼで初めての苗代だったので、また溝をほって畝をたてて水平をとって、と1年目と変わらない作業をしました。振り返ればこの年は過去一番の苗ができたような気もします。そして田植えが終わったあとに、急いで苗箱や資材を片付けて、緑肥としてエンバクを育てました。6月播種はすこし時期外れなこともあるからか、8月ごろに穂が出てきます。それを刈って、もう一度播種して、次は11月ごろ雪が降りはじめる前に刈り倒しておきました。一般的にエンバクは背の高い作物ですが、6月播種したものは膝にも届かないくらいで、8月播種したものは膝上くらいでした。うーん、あまり育たたないなぁという所感でした。
5年目。春に苗代の土を触って驚きました。土の感じがぜんぜん違うのです。それまでは田んぼの土らしい水気をたっぷり含んだゴロッとした土塊でしたが、びっくりするくらいサラッとしていました。触っているのが心地よいのです。エンバクがあまり育たたなかったのが気がかりだったけれど、根っこの力はすごいなと思いました。
しかし本当に驚いたのはその後、過去一番の良くない苗になってしまったのです。まず芽がぜんぜん出ませんでした。田植え機でつかえる苗箱は全体の半分ほどでした。はっきりとした理由はわかりませんが、とにかく水はけが良すぎて入水をとめるとすぐに落水していき、土がものすごく固く締まっていました。芽が出なかった箇所はヒビ割れもしていました。おそらく締まった土と苗箱が離れてしまい、水分不足で発芽できなかったのだと思いました。田植えは大変だったし秋の収穫量もすごく少なかったです。ただ、エンバクはやめませんでした。1年だけだとやっぱりわからないし、良いか悪いかはわからないけどなんらかの変化は感じたので、もう少し試してみたかったのです。前年同様、6月と8月にそれぞれ播種しました。そして8月の分では腰ほどの背丈まで育っていました。エンバクにとっては心地の良い土に変わっていったようです。問題はそれが稲の育苗にとって良いことなのか、です。
6年目、今年のお話です。前年と同じように春の土はサラサラしていました。手痛い反省を活かし、土が締まり過ぎないように、水を切らさないようにと各作業工程でつよく意識しました。結果的に、いくつかの苗箱では芽が出ないこともありましたが、前年と比べれば大問題にはなりませんでした。ただやっぱり土の乾きがよすぎることが気になりました。そんなある日、(たしか熱を出して布団に籠もっていたとき)、新しい手を思いついたのです。
緑肥は続けてみたい、でもエンバクは稲の育苗には課題を感じなくもない、となると緑肥として苗代で稲を育てるのはどうだろう?と。苗代に水を張り続けることになるし、稲の根は水根っぽい感じもある。それにここを初めて苗代にしたときは調子がよかったけど、その前年は稲を育てていました。苗代を固定せず、稲を育てた翌年を苗代にすることにしてぐるぐるローテーションにしている人がいるような話をどこかで聞いたような記憶もありました(すごく曖昧)。ただ苗代で稲を育てるって思いつきそうなものだけど、聞いたことがない。なにか問題があるのかな〜〜、うまくいくかわからないしエンバクももう少し続けてみたい〜〜、でも思いついたからには気になる〜〜、やってみたい〜〜〜と毎日悩み、結局やってみています。田植えが終わってから急いで苗代を片付けて、それから畝を耕し代かきをして田植え機を走らせました。この稲ももちろん収穫はしますが、一番の目的は稲の根による土の変化です。(田植えをしてから、この規模なら不耕起で手植えをしてもよかったのかな?とまた新しい考えも浮かんできました)
それでどうなるかは現状さっぱりわかりません。来年の春に土を触ってみてどう感じるのか、そこで苗を育ててみてどう感じるか、そしてもちろんその苗でどんな稲が育っていくのかを見て考えることです。この取り組みのひとまずの結果が出るのも来年の秋だし、それだってまだまだ途上です。一年で感じる変化と、何年も続けていった変化はまたぜんぜん違うものです。土や種に区切りなんてほんとうは無いような気もします。農家になってから「何らかの取り組みに対する結果が出る」という考え方自体が、けっこう短期的で人間的なものなんだなとよく思います。とはいえ、一人間としては毎年の収穫は生活にとても影響があるので大事にはしつつ、でも大事にはし過ぎないという気持ちをバランスよくもって向き合っていたいなぁと思います。
写真/藤田和俊
穀物農家の種とのかかわり
2023年10月02日
種は命そのもので、それが育っていくには時間がかかります。私の経験だけでいえば、少量から始めて本格的な栽培に至るまでに、稲なら2〜3年、麦なら5年かかっています。大豆は今年から始めていますが、きっと同じくらいの時間を要するんじゃないかと思っています。そしてその間は経済的に得るものはなく時間と手間だけがかかるので、それなりの覚悟と根気のいる取り組みです。種は大変で、そして大切なものなんだと心の底から思います。
なので、そんな種は努力の結晶であり簡単に譲り渡すことはできないという考えは容易に理解ができます。そんな声を何度も見たことがあるし、その苦労を少しは想像できるようにもなりました。ほんとうにその通りだと思います。そんなセンシティブなものだからこそ、私もだれかに、種を譲ってほしいんですと簡単には言えません。いろいろなことを調べに調べて、育ててみないと自分にも土地にもあうかわからないというのは重々承知の上で、それでもどうしても試してみたくて、どうしてもその人にお願いしないといけないんだと、心のなかで対話と熟考を重ねてようやく声をかけることができたりします(できなかったことも何度もあります)。そしてそのときにはいつも不安で怖くなり、どこか申し訳なさでいっぱいにもなります。
でもその一方で、自分が持っている種を譲ることにはぜんぜん抵抗がありません。むしろ、それが大変な思いをして大切であればあるほどにそうだし、仮にその地でうまくいかったとしてもどうこう思うこともありません(翌年また挑戦したいと言われれば、ぜひお願いしますと何度でも譲りたいとも思っています)。ある種の矛盾ではあって、自分のこの気持ちは何なんだろうとずっと考えてきましたが、最近ようやくわかってきました。それはもし自分が種だったとしたら、きっといろいろなところに行ってみたいと思うからなんです。種とはそういうものなんだと。そして穀物農家である私はその種を食べ、食べてもらい、そうやって暮らしを成り立たせています。文字通り、誰よりも種に生かされているのだからこそ、自分が想像できる限りの、種にとってのいい関わりをしていけたらと思っているんです。だから譲り手の方がどうというわけではなく、種がきっと望むであろう遠くにいってみたい広がっていきたいという気持ちに応えたいというだけなんです。もちろん、育種や種の販売にかかわる方々の積み重ねと権利に心からの敬意を払って。
これから先また考えが変わるかもしれませんが、少なくともいまの私はこう思っています。
写真/藤田和俊