
米農家の存在を祝福する
2026年06月02日
*冬に書きはじめていたものを時間差で投稿しました
窓の外に見える雪がみんな溶ければ、米農家として8年目の春がはじまります。これまでのわたしは、誰かに届いてほしい声やメッセージのようなものを特段持ち合わせていませんでした。お米をつくることはその道のり自体が自分にとっての喜びであり、その結果を誰かに求めてもらえば続けていくことができる、そうであったらうれしい、そんな個人的な営みだと思ってきました。今でも本質的な変化はありませんが、つい最近、自分のなかに新しいものが芽生えてきたのを感じています。それは、お米をつくる人、米農家がひとりでいいから増えたらいいな、という気持ちです。
そのきっかけは、昨年のこと、7年目がはじまるときのことでした。春のぽかぽかとした陽気のなかで田んぼに立っていたときにふと、あぁ、そういえば自分が研修でお世話になったとき蒜山耕藝の高谷ご夫妻は当時7年目だったなと思い出したのです。いろいろな状況は異なるものの、純粋に農家としての年月でいえばあのときのおふたりと同じになったんだなぁと感慨深く思いました。そうして研修時代のことを思い返しながら、もしもいま自分の目の前に研修を受けたいですなんて人が現れたら自分はどうするんだろうという疑問がわいてきました。うーーん、とすこし自問自答をしつつも、答えはすぐに出ていて、いや自分にはそんな余裕も器量もないし、他にいったほうがきっとあなたにとって有意義ですよって率直に答えそうだなと思いました。
農業の世界には研修といって実地で教えてもらいながら技術や考え方を身につける文化があります。研修生はある種の労働力でもあるので、海外から来られる技能実習生がいてくれないとまわらない農場もあるなんて、インターネットでのニュース程度ですが、聞いたこともあります。でもわたしの場合はそうではなくて、たしかに育てていただいたなという感覚がありました。そんなこともあって研修生の受け入れなんて、別にご相談もいただきませんが、わたしには無縁だなと考えていました。でもその反面、そのままでいいのかなという心の小さな声も聞こえてきました。
この社会には食べものが必要です。それをつくる人が必要です。それはきっとこれからも変わりません。昨年の冬はその大半を費やして数十冊の文献や本を読んでお米の歴史、特に品種改良や飢饉、税について学んでいました。食べもの、特に日本においては主食といえるお米は、あまりにも必要であるがために、それはずっと税の対象であり時代時代の権力によって管理されるものでありつづけました。それが戦後さまざまな社会変容を経て自由になり、田んぼからもお米からも人々は少しずつ距離をとっていきました。わたしがたびたび引用する漫画『夏子の酒』にもあるように、これからの田んぼは土地をもっている人が耕すのではなく、意志や情熱をもった人が耕すようになる、まさにそんな時代になっているのだと思っています。
わたしもそんなひとりです。誰に頼まれるでもなく農家を志し、地縁もなにもない蒜山に移り住み、一年一年とこの地に根を下ろしています。そのきっかけはアジア学院での一年間でした。アジアやアフリカから集う仲間たちと一緒に農の日々を過ごすうちに、自分のなかに小さななにかが芽生えたのだと思います。それから広島の農村での生活と農業研修を経て、少しずつそのなにかを大きくしていきました。種や田んぼが幾年も繋がってきたものであるように、わたしも誰かにもらった、この意志のようななにかを誰かに繋いでいかなければいけないような気がしてきているのです。そしてそれはわたし自身のためではなくて、漠然とした社会のために未来を生きる子どもたちのために自分も当事者のひとりとしてなにかを負っているような感覚があるという、これもまた個人的な動機による個人的な営みです。
前述のように、わたしには直接人に会ってなにかを伝えるのは難しいと思っています。それで、こうしてなにか言葉だけでも残せたらと考えたのです。一緒に田んぼに立つことでしか伝わらないものがあるし、それがほんとうのことだとも思うのですが、それでも自分にできることをやるしかないという諦めと祈りの文章を綴っていきます。
さてそれで、具体的にはなにを書けばいいのでしょうか。いつものようにゴールはわかっていませんが、まず正直にいま心に浮かんでくるのは、米農家ってすごくいい仕事だなぁという実感です。これはあまり見かけたことがありませんが、あたたかい人たちに囲まれている、そんな魅力をまずは書いていけたらと思います。
わたしのお米はそのほとんどを定期の方々に直接お届けして召し上がっていただいてますが、お米をつくってくれてありがとうと何度も何度も感謝の声をいただいたことがあります。なかでも心に残っているのは、これまではおいしいお米を食べたときに感謝の気持ちを伝えたくなるけれど、スーパーで買っているとそれができなくて悲しかった、いまは近藤さんに直接メッセージができてうれしい、というお話です。選んでくださった感謝を伝えるのはわたしのほうですよといつも思いますが、こんなにも感謝をいただくってすごいことですよね。
また、わたしの文章がとにかく長いからなのかもしれませんが、何人もの方々からご家庭の事情やどんな風に向き合ってくださっているのか、そんな個人的なお話をいただいてきました。その一通一通が、直接お会いする機会には恵まれず、もしかしたらこれからもずっとそうなのかもしれませんが、わたしにとっての心からの励みになっています。お米をつくる動機は内的なものですが、こういったあたたかい声に支えられているのもまたわたしの日々の実情です。
数年前、『ブルシット・ジョブ』なんていう本が話題になっていました(読んだことはありませんが、きっとちゃんと読むべきですね)。自分が人生の時間を捧げているこの仕事には意味があるのだろうか、これほどに大きく複雑になった社会においてはそんな疑念が湧くことがあるのも仕方のないことなのかもしれません。その一方で、誰かの食べものをつくる営みは社会にとって明確に必要性があります。自分の仕事を迷いなく信じられることも、わたしにとっては大きいなと思います。
それから、たくさんの方々にエールをいただくことがあります。すぐに思いつくのは農業研修中にお会いした、長崎・雲仙で活動されている奥津ご夫妻。当時どんな話をしたのかは覚えていませんが、わたしがこれから米農家を志していることを心から喜んでくれました。こんな人たちがいてくれるのならきっと自分も大丈夫だろうなってあたたかい気持ちに包まれたことをよく覚えています。わたしはそれまではずっと勤め人でした。父もずっと会社員でした。わりと脳天気なわたしでも見知らぬ土地で独立していく怖さが無かったといえば嘘になります。そんななか、おふたりの存在はわたしにとって大きな救いでした。実際に就農してからも、お米を召し上がっていただいたり、いろいろなところで応援していただいています。
暮らしている村の人たちもだいたいみんな優しいです。今年39歳になるわたしは自分自身をそれほど若いとも思っていませんが、村のなかでは永遠の若手です。普通に農作業をして、普通に暮らしているだけで、近藤くんは若いのにいつもようがんばっとる、夫婦ふたりで子どもを育てて大変だろう、無理するなよ、といつも言われます。みなさんが目にするわたしは画面越しの文章や写真なのですが、現実のわたしはずっとこの村にいます。その環境がとてもあたたかくて、わたしが農業をしていること、もっと言えばここで暮らしていること存在していること自体を喜ばしいと思ってもらえていると感じられること。この感覚は街にいた頃には知ることがありませんでしたし、あまり見たことも聞いたこともありません。でも人が生きていく上で、もしかしたらすごく大切なことなんじゃないかなとも思います。
食は万人にとって関係のあることで、どんな人とも接点があります。お米をつくっていると言えば誰にでも伝わります。ほんの100年ほど前には日本人の大半が従事していた当たり前に続いてきた当たり前の仕事です。自分のアイデンティティというか認知もシンプルになります。そうすると、なんというか、あまり余計なことを考えなくていいようになる感覚があります。これがいいことなのかどうかはわかりませんが、どちらかといえば外からの情報が過多になりがちな現代において、どっしりと構えていられる安心感のようなものもたしかにあります。
最後に、数年前に島根県立美術館で開催されていたチームラボによる「未来の遊園地と花と共に生きる動物たち」の企画展に遊びにいったときのことを。荘厳な美術館の建物にはいったときには、当時3歳だった息子は、え、今日こんなところで遊ぶの?と怪訝な表情を浮かべていました。しかし展示室に入ると目に入ってくる、騒ぎ走りまわる子どもたちと、彼らに連動して生き生きと活動する壁や床一面の動植物たちのデジタルアート、それを体で知覚した瞬間に、うわぁ~~~!と走りだし転げまわっていた彼の笑顔が忘れられません。自我が解放される、そんな表現がぴったりなものすごい空間でした。
そんなチームラボの代表である猪子寿之さんが、インタビュー動画のなかで語っていたことをおぼろげながら覚えています。曰く、一般の美術館では観覧者が多いことはいいことではない。作品を近くで見られない、ゆっくりと見られない、そんな理由から他者はあまり喜ばしいことではない。でもこのデジタルアートは違っていて、もしここに自分ひとりしかいなければあまり動きのない作品も、たくさんの人がいればもっともっと躍動感のあるいい作品になる。だからここでは他者が歓迎されるんです。そんな趣旨のことを話していました。
厳密にはいろいろと違う点があるのは重々承知のうえです。それでも、存在の祝福、そう言ったらすこし大袈裟かもしれませんが、わたしが米農家として感じることもここに近いような気がするのです。米農家は斜陽産業であるというニュースをたびたび見かけます。たしかにつくり手は減っているし、高齢化しているという実感もあります。日本全国でも毎年農地はものすごい勢いで減っています。それでも一定量のお米が社会全体に行き渡る必要があり、そのためには米農家という仕事に一定数従事してもらう必要がある、というのも一方では事実です。そういう大きな視点で見たときにも、飛び込んでみたらこうしてたくさんの人に受け入れてもらえる土壌があるというのは、なかなかにすごいことだと思います。米農家になってから、いろいろな方になにかを言われて、いえいえ、こちらこそです、ありがとうございますと答える機会がとても増えたように感じています。ほんとうにありがたく、気持ちのいい仕事です。
それから、こうしていろいろと綴ったのは米農家が増えてくれたらいいなと思ったからですが、直接誰かに届かなくても、これを読んだ人がすこしでも、米農家という仕事はいいものだ、少なくとも悪いものでもないと思ってもらえたら。きっとその人のまわりで、誰かが農業に気持ちを向けたときに、いいんじゃないかなとポジティブな反応をしてくれたらいいなとも思ったのです。わたし自身は農家になるときにそれほどのハードルはありませんでしたが、新卒で入った会社を辞めてアジア学院でボランティアをするといったとき、必ずしも応援の気持ちだけをもらえたわけではありませんでした。覚悟はしても誰だって先の見えない不安があるときに、誰かに背中を押してもらえたり理解をしてもらえたり、そういうことってほんとうに支えになると思うのです。だからこそ、米農家ってなんかよさそうだよねっていう気持ちがこの社会に少しでも増えたらうれしいです。
以前、宮崎駿監督が引退会見で「子どもたちに、この世は生きるに値するんだということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹である」といった話をされていたと見たことがあります。それならわたしは、田んぼは耕すに値するんだということを、ささやかながら伝えられたらなと思ったのでした。

2025年のふりかえり|穀物栽培について
2025年12月18日
2025年もあっという間!(ですよね?)今年も栽培のこと、技術的なことをふりかえってみます。昨年同様、農業に関わっていない人でも読めるように意識はしましたが、基本的には自分のメモとして書いています。
|水稲
今年はいつものササニシキ、亀の尾、こがねもちに加えて、鳥取在来種の福山をすこしだけ育てていました。それぞれに課題や発見がありますが、総論としては昨年の豊作に比べたらむずかしい一年だったなという感想です。以前も読み物に書きましたが、まず春の苗づくりを失敗しました。それで植えられる田んぼが減ってしまい、それがまず総量の減少に深く関わっています。
まずササニシキ、こちらは苗が足りずに田んぼが1枚減りました。反収でいえば昨年ほどではないにせよ、これまでのなかでは2番目の良さでした。減ってしまったのは半分の田んぼで草の対応に失敗してしまったからでした。わたしが聞くところによると、自然栽培(無肥料?)あるあるとして生えてくる草が変化します。一年草のヒエやコナギは徐々に姿を見せなくなり、多年草のオモダカやクログワイが元気になってきます。わたし個人の体験としても、はじめの数年はやはりヒエが目立ち、稲はそこそこなのにヒエが多すぎて全面が倒伏する田んぼもありました。そこから深水管理も上手になったこともあるのか、ヒエはほとんど見ないし気にならないようになりました。コナギが気になる田んぼもありますが、いまはやはりオモダカが中心で、ちょこちょことクログワイが見えてきました。先輩農家さんたちから聞いてきたこと変化が目の前で起きていて、おお!自分もついにオモダカに悩むようになってきたのね、、とちょっと感慨深いです。
と、そんなオモダカの対応に今年はがっつり失敗をしています。多めの代掻きで早めに出てくる草を埋め込んだり、定番の深水管理をしながら除草機をかけたり、それから勢いそこそこの田んぼでは気合いの手除草でいい感じですが、勢いのすごい田んぼではびっしりと生やしてしまいました。7月があと2週間ほど増えてくれたらできそうですがとても現実的ではありません。ここ数年続けてきたやり方ですが、このままではいけないなぁとしみじみ理解してきました。次を真剣に考えていかないといけません。
それから亀の尾。1年目の冬に種を譲っていただき、2年目は種を増やし、3年目から本格栽培という付き合いですが、今年はこの5年間で一番の少なさでした。苗が足りずに田んぼの半分ほどしか植えられていないことが大きな要因ですが、来年は田んぼを替えてみようと思っています。思い入れがあるからと家からすぐの田んぼで育てはじめて、それからも作付や効率性の関係で近くの田んぼをあててきました。毎年ちょっとずつの改善を試みていますが、どうも元気いっぱいには育てられていない気がしています。それでふと、2年目に種を増やしたとき家からすこしだけ離れた田んぼの一角に植えていたのですが、そこでの姿がとても立派で好きになったのを思い出しました。家近くの砂地田んぼとはちがい、そこは真っ黒な土。そこで育てたらどうなるんだろうと、今更ながらにふと思ったのでした。もうすこしいろいろ考えたいのですが、来年はそちらでとも考えています。
そしてこがねもち。育苗に失敗したというかほぼ全滅してしまい、蒔き直しをしなかったら収穫ゼロでした。田植えがちょっと遅かったような気もしますが、とにかく収穫ができてほんとうによかった。。お餅シーズンに入っている今、しみじみと喜びを感じています。いまの禾は、もち米よりもうるち米のほうが圧倒的に足りていないので、こがねもちをどんどん増やそうとは思っていません。平年量を毎年しっかりとれるように安定させていきたいなと思っています。
最後は鳥取在来種の福山。こちらは藤原みそこうじ店さんとの「はじまりの味噌」のために育てたお米です。かなりギリギリ、というか9月の長雨がなかったら危なかったかもというほどの晩稲ですが、実りはたわわにありました。2026年の夏に仕込んでもらい、2027年の夏に食べられるお味噌になる予定です。楽しみですね。
それから全体でいえば、収穫で田んぼを大いに荒らしてしまいました。ここまではやっぱり初めてで大きな反省です。中干しをきびしくしたり、ゆるくしたり、溝切りをしたりやめたり、夏の水管理を毎年の雰囲気と前年の反省で微調整をしていますが、いやはやです。。秋起こしはもちろんできなかったし来年の春がもう心配です。
あとは話が前後するけれど、苗づくり。稲作でする大きな失敗のほとんどはここにあります。ミスのないようにと毎年気を付けてはいますが、どうしても新しい穴には落ちてしまいます。それで来年からは、失敗してもすぐにやり直しができるように、いろいろな余剰を持っておこうと思っています。春はとても忙しいこともあり、すべてがギリギリ足りるほどしか用意をしないのですが、ここに改善の余地があるなぁと思ったのです。正確には、思ってはいたけれど踏ん切りがつかないままだったのですが、さすがにちょっとここはどうにかしないといけないと痛感したのでした。
|大豆
今年も昨年同様、サチユタカと日の丸大豆の2品種です。まだ乾燥選別をお願いしているところなので実際の収穫量はわかっていません。ひとまず現時点での感想としてはですが、栽培段階でも収穫量でもサチユタカはうまくいかず日の丸大豆はとてもよかったというのが総論です。
まず、サチユタカ。昨年の大豊作をイメージしつつ、今年の挑戦は連作と麦との立毛間栽培の2つでした。ただ、春先からやや失敗のスタートでした。ロータリーがけはとにかく浅めが基本なのですが、それが弱くて春草がずっと残ってしまいました。日に日に大きくなっていき、徐々に深くしてももう埋め込めない…。例年の倍くらい数はかけたけど、草が残ったままの播種となりました。数年前にも田んぼで似たような失敗をしていたのに、なかなか懲りません。
それから発芽率の悪さ。これは要因がよくわからないままなのですが、半分も芽が出ませんでした(残らなかった?)。何箇所も土を掘ってみて、鳥や獣に食べられる、機械が詰まっていたのか蒔けていない筋があった、などは確認しましたが、これほど芽がそろわないのは初めてでした。結局やり直しで、2枚のうち1枚は2回播種、もう1枚は3回播種をしました。ロータリーがけの数が多かったので土が細かく乾きすぎたのかもしれないと、雨の直後を狙ってみましたが、すこしはマシになったかな程度で劇的な改善はありませんでした。種子の予備がなかったので、正規品ではなくB品をつかっていてそれも影響しているかもしれません。
生育期間中も、そもそも大豆がいないので草も多くなってしまい、収穫直前の晩秋はひたすら草刈り・草取りでした。ここでかける何十時間の、その数分の一でいいから夏にやっていればそれで終わっていたのにな、と毎年思います。季節に寄り添うといえば聞こえはいいですが、遅れないようにするだけで精一杯、というか遅れまくっているのです。
それから収穫についても。なかなかすべてが熟れず落葉しない株も多々ありました。そもそも蒔き直しの連続で予定よりもかなり遅れていたので心配はしていましたが、2枚のうち3回播種をしたほう(より遅かった)がまだよかったのです。播種が遅いと成長が進まず実がつかず熟れない落葉しない、というイメージがありましたが、今年を見る限りでは、ある程度遅いとダメだけど、かなり遅いと株も小さいから熟れるには熟れる、なのかなぁと。わからないことだらけです。
日の丸大豆。こちらは栽培と収穫のどちらもよかったです。前述のとおり今年は稲の苗が足りませんでした。それで当初は大豆畑の一角で日の丸大豆を育てるつもりでしたが、1枚まるまるをそのまま当てることにしました。
サチユタカ圃場のようにサラサラな畑っぽくなった土とは違って、前年が田んぼで排水対策も特別にはしておらず土もゴロゴロ。サチユタカで芽が出ない問題も既に出ていたので、日の丸大豆もあまりいいことにならないかなと心配でしたが、きれいにビシッと芽がそろいました。それからの草の生育も勢いがなく、週に一回畑をぐるっと歩きながら手で草をちょこちょこととっていくだけで問題なく、草が全くないなかでの土寄せを初めてしました。
それから昨年は地生えになっていたのが、今年は播種時期を遅らせることでそれほど伸びることもなく、倒伏もほぼないままで秋を迎えました。こちらは昨冬、他の地域で日の丸大豆を育てている方に電話でお話を伺って気がついたことで、ほんとうにいいアドバイスを頂いたなぁと思っています。機械の収穫ももちろんできるし、サチユタカと比べても鞘付きが株の上のほうなので歩留まりもよかったです。
ただ最後の難点はやはり選別作業です。おそらく今年も、平べったいその形状から機械での選別がほとんどできないのだと思います。昨年は友人にもお手伝いいただいてのひたすら手作業、のべ100時間ほどかけて製品に仕上げています。今年は倍以上の量がありそうなので、200時間、、?と思うとなかなかです。ここがもう少し良い形になれば日の丸大豆を中心にしていきたいのですが、鞍掛大豆のいい選別方法なにかないかなぁ。。
という感じで、まだまだ課題の多い大豆栽培ですが、やっぱり稲と大豆のローテーションをするかなぁと悩んでいます。大豆の難易度が一気に下がるからです。ただ田んぼは田んぼ、畑は畑、としていきたいという大前提があったので、うーん、、どうするかなぁ。。冬のあいだにじっくり向き合います。
|麦
大豆のあいだに麦を播種をする、立毛間栽培をするんだと意気込んでいましたが何もできませんでした。大豆の草が多くなってしまったことと、大豆と稲のローテーションを考えはじめたのでやめておきました。こうなると、麦は麦でずっと連作をする案もありますが、それをできる圃場がないし、もし圃場が増えたとしてもいまはやはり稲や大豆を育てるべきでは、と感じてしまっています。麦は風景としてもすごく好きなのでどうにか育てたいのですが、どうしたものか、いまは見通しも立っていません。
|小豆
と、ここまで昨年に比べればさみしいばかりの結果でしたが、小豆だけはとてもよかったです!育てたものは2品種で、大納言小豆とヤブツルアズキ。
大納言小豆は家庭菜園をほぼ諦めている我が家には珍しい自宅用で、2年前に初めて育てました。記録によるとそのときは100gほどの収穫だったのが、今年はなんと2.7kg。集落の方にもお裾分けをしつつ、冬のあんこもちが楽しみです。それから藤原みそこうじ店さんに頼まれてはじめたヤブツルアズキ、こちらも過去最高の3.8kgの収穫でした。
まず、栽培がとてもうまくいきました。例年の失敗は草負けです。そもそもヤブツルアズキは地生え気味で除草もしにく、気がつけば手を入れるのも大変になっていて、そのまま諦めて秋を迎える、です。今年は徒長しないよう播種時期を遅らせて、かつ簡単な除草作業をとにかくこまめに行いました。草が見えないうちからレーキで地表をガリガリ削っていくだけ。そもそも生やさない、そしてそのまま株が大きくなっていき手をかけなくてよくなる、という理想的なシーズンでした。この良いイメージをもって来年も臨みたいです。(うれしかったので、写真もヤブツルアズキのものです)
ただ、収穫はまだまだ課題です。どちらも数kgと言いつつ、すべてが手作業なのでなかなか大変です。例えばヤブツルアズキは熟れるタイミングが鞘によってかなり異なっていて、しかも熟れるとすぐに弾けて落ちてしまいます。それで10月初旬から一ヶ月、ほぼ毎週のように鞘ひとつひとつを収穫して乾燥選別をしていきました。歩留まりはよかったものの、のべ5日間ほどかかっていて、もう少し効率的な方法を見つけないとこれ以上は難しそうです。こちらも要検討ですね。
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こうして文字にするにあたって、昨年と今年の日誌を読み返しました(就農以来ずっと綴っているのです)。すると、ぼんやりと抱いていた総括が実態とは違っていたり、忘れていた当時の反省を思い返したり、なんだかこの営み自体がわたしにとって大切な時間だなと思うようになりました。
先日、友人と夜な夜な電話をしていたときに、書くことがすこし話題になりました。どうして書いているのか、自分にとってはどこまでいっても自分のためなのです。それは、ぼんやりと頭に漂っている考えをひとつひとつ文字にすることで、書いてみたけどそれってほんとう?と自分に再度問いかけたり、ここはなにか大切な気がするからもっと先があるんじゃないの?と思えたり。頭の中にだと止まっている思考が、文字と自分のふたりになることで進んでいくような感覚があるのです(いまもまさに書きながら考えていますしね)。
今年はどうだった?と聞かれると、昨年の豊作に比べればそうでもなかったですね〜、むずかしいです。みたいについつい答えてしまうのですが、グッと深い学びと経験を得ているんだなと思ってきました。来年にはまた来年の土と種がありますが、冬を超えてまた来年の自分になって、春からまた精一杯やっていきたいです。

いい苗と減点方式の米づくり
2025年07月02日
今年も無事に田植えが終わりました。あぁ、よかったなぁと安堵する一方で、育苗については反省と学びの多い年でした。田んぼの状況も、自分の気持ちも日々移ろってしまうので、今をちゃんと切り取って残しておきたいと思います。
まず、その失敗。またまた芽が出なかったのです。これはわたしにはたびたびある課題で、ほんとうに苦しかった一昨年を50とすると、けっこうよかった昨年は90、今年は60くらいかなぁという感覚です。
毎年、春になるとその年の作付計画を立てます。どの田んぼでどの品種のお米を育てるか、それから品種ごとの面積を計算して、植える間隔を考えて、その田んぼを埋めるために必要な苗箱の数とそれに必要な種の量を出します。それを元にして、種の準備をして種まきをして、育苗をしていきます。といっても完全にゼロからやっていますという話ではありません。例えば今年は昨年と同じにしようと決めたので、昨年のノートを読み返しながら頭のなかでいろいろなシミュレーションをしてみて、1時間もあれば終わりです。
ちなみに、育苗をする苗箱は余剰分をつくります。失敗に備えるのと補植用にと、それなりに多くつくります。ただし、つくったり片付けたりも手間だし苗代の面積も必要になるので、いくらでも多めにというわけにもいかず、経験則的にまぁこれくらいかなという数を狙います。品種にもよりますが、いまのところは3〜4割増しで用意しています。それでもぜんぜん足りなかったのが今年でした。作付面積を減らしつつ、欠株だらけの苗箱だったので補植をかなりがんばって、どうにかこうにかできる限り田んぼを整えることができました。
昨年は比較的うまくいっていたのに今年失敗した理由は、苗代をガラッとつくりかえたからでした。
禾で育てているお米の品種はほとんどがササニシキ、すこしの亀の尾とこがねもち、そして藤原みそこうじ店さんとつくる夏のお味噌用につかう実験的な在来種です。その在来種は年によって変わりますが、基本的にはとても少量です。そしてわたしは、この地域にしてはありがたいことに大きめの田んぼが多く、この少量品種にあう小さな田んぼがありません。それで1枚の田んぼを縦に割って、川下にはこの品種、川上にはこの品種と分けて育てていました。ただ、あまり気持ちよくはありません。生育が違うのに早いほうにあわせて中干しをする必要があったり、収穫作業でも田んぼをグイグイ荒らしてしまったり、やっぱり1枚の田んぼで1品種にしたいなとずっと思っていました。
この課題がついに今年は解決できそうだと思ったのです。それが苗代でした。もともと1枚の小さな田んぼを2つに分けて、片方を育苗する苗代に、もう片方を水路から入る冷たい水を温める温水田としてつかっています。これまでの苗代は苗箱を片付けたあとに緑肥としてエンバクを育てていたので水を入れていませんでしたが、昨年からは緑肥として稲を育てています。苗代のほうに水を入れるので、温水田のほうでも稲を育てられるようになったのです。これに気がついたとき、ついに数年頭を悩ませていたパズルが解けた!みたいなうれしい感覚になりました。
それで、今年は苗代を一から作り直しました。2つに分けてある苗代と温水田のどちらにも秋まで機械が入っていけるようにと通り道をつくり、その分だけ畝が短くなるからと畝を1つ増やし、そのためには中畔を壊して新しくつくり。毎年バタバタする春をいつもよりバタバタさせながら、どうにかこうにかこんなもんだろうと仕上げた気になっていたのですが、うまくいきませんでした。
わたしの観察によると、芽が出ない基本的な理由は水不足です。苗箱と畝の接地がうまくいっておらず水を吸い上げないこと、そしてその畝が他よりも高くなっていて水があまりあたっていないこと、これらが重なると起きる問題のようです。特に前者については土が固く締まってしまうことが多々あって、例えばエンバク緑肥を初めてやった一昨年もこれが原因だったのかなと考えています。今年もその反省を活かしながら仕上げたつもりでしたが、いろいろな面で甘かったのだと思います。
それを踏まえて、こがねもちだけ種まきをやり直すことにしました。芽がきちんと出揃っている苗箱がひとつも無いほどにボロボロだったからです。ここまできたらダメで元々!という気持ちもあったので、こうやったらどうなるんだろうと気になっていた段取りで仕上げてみたのです。(ここからは細かいことで、かつ擬音ばかりの感覚的な話になります…!)。例年、ざっくりと畝をつくったあとに、草を集めて取り除いて、その後は水を入れて水平を見ながらレーキで土を引っ張って高低差をできるだけなくしていきます。それから苗箱を置く直前にはクイックレベラーという機械をつかって、土の表面を振動させてさらに平らかつトロトロに仕上げます。ただレベラーの前がレーキをかけたままだと、場所によっては土が締まっているところがあったのです。それは表面の土だけが水と混ざっていて、もう少し深いところまでは水が入っていないようなところでもあります。それで今回は、レーキのあとに鍬でザクザクとしてそこそこの深さまで土がゴロゴロッとして、かつ水と混じって泥になっている。そんな状態でレベラーをかけると、なんだかいつもよりもすごいトロトロになりました。ザクザクで土がすこし動いて高低差が出てしまったところがあったので、そこは来年への課題ですが、上から鎮圧するまでもなく苗箱を置くだけでちょっとめり込むほどになりました。
そうして育ったこがねもちがなんだかすごかったのです。芽が出揃ったのはもちろんですが、まず違うなと思ったのは色です。ずっと緑でした。禾の苗は基本的には黄色っぽい感じで、田んぼに植わってしばらくするとだんだん緑になっていく、と見えていました。それが芽が出たそばから緑で、その後もずっと緑。こんな苗は初めてでした。これまでも種まきから時間が経って田植え直前ごろにもなるとドドンと立派になる苗が緑になっていましたが、発芽直後からずっと緑でいるのは初めてでした。
それから生育速度。他よりも2週間遅れで5月中旬ごろに種まきをしたので、それだけ田植えもずれるかなと思っていたのです。5月初旬から気温がグッと上がってくるので、まるまる2週間遅れということもないかなとは期待していましたが、6月にもなるともう他を追い抜きそうな勢いがって、早く田植えしてあげなきゃ!と焦るほどでした。
それから苗の大きさ。先に書いたような田植え直前ごろにもなるとたまに見る立派な苗、そういうものは葉先が垂れてきます。それ以外の多くの苗は葉先が上にピンとしていて、田植えからすこし時間が経つと大きくなって少し垂れてきます。このこがねもちは、それなりに多くの苗がそのように葉先が垂れていました。わたしの米づくりは機械作業なので、どうしても苗箱という狭い空間で種を育てていくことになります。それなのに、総じてこのこがねもちについては、まるで初めから田んぼに植えられているかのように育苗ができた感覚になりました。
正直なことを言うと、これまでずっと「いい苗」というものがよくわかっていませんでした。そもそも農業では「苗半作」という言葉もあるくらい苗の出来を重視しています。それに米づくりに関わるあらゆる人たちが、今年はいい苗だとか、いまいちだとかそんな話をしています。今年の5月、隣の田んぼのおっちゃんが田植えをしていたときにちょうど通りがかったので、苗がバチッとできてますね〜!とわたしが(特に何も考えず適当に)声をかけると、いやいや今年はいけんわ〜と言っていました。あ、そうなんだ!(ぜんっぜんわからん…)と思っていました。
わたしの場合、そもそも発芽が課題になりがちだったので、ちゃんと芽が出てくれればそれだけでうれしい苗ありがたい苗、と思っていました。それに、いい苗を大きさというのなら時間をかければ大きくはなっていくので待てばいいだけです。大きくなっていく速さといっても、毎年種まきの日も違うし気温や天気も違うので精緻な比較もできずいまいちピンとこない、と。とにかく自分のなかに、いい苗とか目指すべき苗のようなイメージがまったくありませんでした。それが今回のこがねもちを見て初めて、あぁ、いい苗ってこういうことなのかもしれないと思いました。みなさんに伝わるかわかりませんが、けっこうな感動を抱いています。
もちろんそれで秋の結果がどうなるかはわかりませんが、とてもとても大きな発見でした。そんな発見をする前の、育苗が失敗しているとだけ思っていたときはほんとうにずっと苦しかったし、毎日毎日あーあー言っていて、隣でそれを聞かされる妻も大変だったと思います。それでもうまくいっているときには見えてこない何かが失敗からは見やすくて、きっと米づくりの収穫とは2つあるんだと思いました。たくさんの実りか、たくさんの学びか。いつかそんな気持ちで臨めるようになったら(わたしはまだまだその渦中にはできませんが)、もうどうなっても大丈夫ですね。
それから最後にもうひとつだけ。これまでわたしは人生を加点方式で捉えてきました。自分がやったこと、あったこと、それらが差異をつくっていくのだし、そこに意味が付与されていく、そんな風に考えていました。しかし今回、自分が育てる苗ってこんな姿になるんだと驚きながら、ふと先輩農家さんから聞いて大切にしていたお話を思い出しました。そしてこれは減点方式に近い考え方だったのかなと気がついたのです。
曰く、春から秋まで米づくりにはたくさんの作業工程がある。それら一つひとつを例えば100点でやっていけたとする。そうすると秋には100点のお米ができる。逆にそれぞれで、ほんのささやかでも小さなミスをする。90点だとする。それ自体は小さなものだけど、それが続いていけば90点×90点×90点…となり、秋には50点とかそこらのお米になってしまうんだよ、と。もちろん米づくりは自然と人との共同作業。人の関わり方ではどうにもならないこともあるし、その一方で失敗と思いきやよくできていることなんてこともあります。だからあくまでつくり手や技術者としての心持ちとして、長い米づくりの一つひとつをどれもほんとうに大切しないといけないよ、といった趣旨の話だったと理解しています。
どう見るか次第だと思うのでどちらでもいいのかもしれませんが、個人的にこれはこれでけっこう好きですんなりと受け入れることができました。なぜなら、それは種のポテンシャルをとても大切にしているように思えるからです。種を真ん中に置いて、ほんとうはもっと素晴らしいものになりうるんだ、種にはそんな力があるんだ、そんな強い信念のようなものがこの考えの通底には流れています。だからきっと好きなんだと思います。いつだって種がなりたいと思う姿になっていけるように、そんな気持ちをこれからも忘れずにいたいです。
というわけで、今年つくり手としてはもうとても大きな学びを得ました。それでちょっともう満足してしまっているというか、お腹いっぱいというか。そんな気持ちもあります。わたしはそれほど器の大きな人間ではないので、これ以上たくさんあっても消化できないんじゃないかなと思っています。
ただ、お米もやっぱりいただきたいので秋までがんばります。この夏の過ごし方も昨年の観察や結果も踏まえてちょっとずつ変えています。それがいいことなのかそうではないのか、それはわかりません。それでも結局これしかできないのだとも思います。いいことかそうではないことかよくわからないことを、よくわからないなぁと思いながらそれでも続けていく。そのなかに、たまに、なにかを見つけて自分を変えていく。そんな営みをやっているんだと割り切って、満ち満ちた時間を過ごしていきたいです。

