他の命に生かされているということ

2023年02月01日

1月中旬、今までたまごをたくさん産んでくれていた鶏たちは、岡山市内の食鳥処理施設にてお肉になりました。2月からお肉の販売も始めましたので、よければオンラインストアをのぞいてみてくださいね。

私の体調のことや息子の世話もあり、当日の鶏の運搬と屠殺の立ち会いは夫が一人でしてくれました。私が関われたのは、鶏たちを捕まえてカゴに詰める作業。それだけでも、うっと込み上げる思いがありました。ありがとうという気持ちと申し訳ない気持ち。生き物の命を奪うことの罪悪感と、その命があってこそ私も生かされているという事実。自分ではじめた事業ですが、この瞬間はできれば見たくないものです。

 

思えば、初めて鶏のそんな場面に出会ったのは私が20歳の時、大学2年生の夏休みです。私は栃木県那須塩原市にあるアジア学院という学校法人に1ヶ月ほど滞在し、さまざまな国からやってきた人々と共同生活を送りながら農作業のお手伝いをしていました。アジア学院は、アジアやアフリカの農村地域から研修生を募集し、多国籍なメンバーで共同生活を送りながら農村指導者を養成するというNGOのような学校です。私は国際協力や農村開発に興味があってアジア学院に行ってみたのですが、農作業や家畜の世話は未経験ですし、その大変さも全くわかっていませんでした。

ここでは野菜やお米をはじめ、学校内での食事はほぼ自給自足。たまごや肉、乳を提供してくれる、鶏・豚・牛・やぎなどの家畜たちがいました。毎日朝夕、みんなで畑や家畜の世話をし、日中は授業があったり、まとまった農作業をしたり、調理や食品加工をするなど、それぞれの担当部門で仕事をしています。私は小さい頃から動物が大の苦手だったので、家畜の世話なんてとてもできません。鶏の世話をする時も鶏舎の中には入らないようにと、中の作業は他のメンバーに任せっきりでした。そんな暮らしの中で、鶏の屠殺にも参加させてもらったのです。

屠殺の場面でももちろん及び腰です。スタッフの配慮もあって参加も見学も自由でしたので、そっと影から見ているだけで十分だと思っていました。それでもいざその場面になると、なんだかとても大切なことのような気がして、勇気を出して鶏を抱いてみました。そしてそのまま、首を切る作業も自分でやってみたのです。

首を切って、逆さに吊るして血を抜いて、毛をむしって。。。だんだんとよく見る鶏肉の姿になっていきます。さっきまで自分で動き回っていたのに。この時の衝撃は今でも忘れられませんし、この時の気持ちは今でも表現しようがないほどよくわかりません。ただ、ガーナから来たスタッフ、ティモさんの言葉と私の中の決意はずっと残っています。

「鶏は毎日たまごを産むことで私たちの命を支え、死んでからも私たちのためにその身を捧げている。この鶏の犠牲によってもらった命をどう生かすか、どう自分は生きていくかをぜひ考えてほしい。」

この言葉を受けて、なんだか投げやりに生きていて、生きるのってめんどくさいと思っていた自分は、今までずっと他の命の犠牲のもとに生かされてたんだと初めて実感し、他の命を無駄にしないためにも自分は自分で何かをしないと、ということを心に決めました。

 

その後、仕事も住む場所も転々としましたが、今こうして鶏と関わっているのは、やっぱりこの時の経験がきっかけです。本当はこんな命の生々しさを見ずに暮らしていきたい、というのが本音です。でも、ティモさんや他のアジアやアフリカから来た学生たちのように、生きものと日常的に触れ合って命の生々しさを知っている彼らの逞しさや優しさ、あっけらかんとした明るさになんだか憧れもあるのです。日本の若者にこんな情緒的な話をしながら、一方で鶏をためらいなく手際よく捌き、笑顔でその肉を食べる(しかも硬い硬いと文句を言いながら!)、その姿が私はとてもかっこいいと思っています。

だから私も、命の大切さや他の命に生かされていることの尊さ、そんなことを話したり書いたりしつつ、明るい気持ちでかっこよくその命をいただけるようになりたいのです。今回お肉として販売できるようにといろいろな設備や準備を整えようと思ったのも、たまごと肉は表裏一体であることを目に見える形にしたかったからです。ただ、今はやっぱりどこかに申し訳なさは拭えず、今回自家消費分でも自分の手で絞めることはできませんでした。ほんとうにまだまだですが、いつかきっと、彼らのような強さに近づけたらと願っています。

ちなみに余談ですが、この20歳の時の屠殺体験以降、動物に触れられるようになりました!今では鶏も猫も犬も大丈夫ですし、みんな大好きです。

 

近藤温子

 

 

写真/藤田和俊

お米の年間購入のお届けについて思うこと

2023年01月13日

1月。お米の年間購入をいただいている方々に向けて3回目のお届けを終えたところです。

今年、個人的には大きな挑戦をしました。それは発送するタイミングやお米の量、それから各月ごとの玄米と白米の選択も柔軟にしてみたことです。

 

それまでは「玄米か白米を5キロ毎月発送」と決めていました。これは在庫の管理、配送料、米袋の大きさや発送作業を考えてのことでした。ただこれだと量が多かったり少なかったりと、いろいろな声を頂いていました。それで個別にご相談いただいた方には量や発送頻度を調整してお届けしていました。

各ご家庭ごとに異なる食卓事情に細やかに寄り添っていきたい気持ちと、発送や管理作業をシンプルにしてなるべく田畑に向き合いたい気持ちと、どちらも嘘ではなく、どうしたものかなと悩んでいました。

 

ただ、長らくお米を食べてくれていた古い友人から、実はお米がけっこう残っていたという話を聞きました。言ってもらえれば止めていたのに…と思いつつ、とても申し訳ない気持ちになりました。初めからそういう話で買ってもらったんだよねと言えばそのとおりですが、食べてくださっている方を困らせてしまっては本末転倒です。それに全員が全員、わたしに声をかけてくれるわけではないんだと改めて気が付きました。

 

そんな経緯から、今回は気持ちを新たに、お申込みいただいた全員に事前にお伝えしようと決めたのでした。

 

実際3ヶ月やってみて、発送のパターンが多いので正直なところ大変は大変です。間違えていないことをただ祈ります。でも、これをやってよかったと今は思っています。

 

理由は2つあって、1つ目は誰かに無理をさせてしまっているのではという不安がなくなったことです。毎月5キロのお米は、少ないよと思う人には他でも買ってもらう必要があるし、多いよという人には余って困るだろうし毎月くること自体がプレッシャーにもなります。自分も定期購入しているものを食べ切れていなかったとき、あぁもう次が来ちゃった…と感じることは正直あります。はっきりと言われることがあまりないからこそ、みなさん大丈夫かなと心配になります。今回改めて全員に呼びかけてみて、量を減らしたり、時期をずらしたり、隔月まとめて発送にしたり、いろいろなご希望を頂きました。これを聞けてほんとうによかったと思いました。いまは心置きなくお届けできます。

 

そして2つ目は、ここに生活を感じられることです。オンラインストアでの販売を中心にしている私たちにとって、誰がどうして選んでくださったのか、どんな風に召し上がっていただいているのか、それを知る機会はほとんどありません。でも今回のお声がけをしてみて、これこれこうだから、こうしたいんですといったご要望を聞くことができて、純粋に、あぁそうなんだと思いました。毎月お送りする量が人によって違うことで、一つひとつの食卓に向かって自分のお米が確かに届いているんだなぁと。より実感を持てるようになりました。

 

とは言いつつ、このどちらも、つくり手のエゴのようなものですよね。食べてもらっている、ほんとうはそれだけで十分ありがたいことです。そこから更に安心感とか充実感とか、そういう人の温かさまで頂いているんだなと思います。

今季の大豆販売について

2023年01月04日

昨秋収穫した大豆がようやく乾燥と調整を終えました。想像していたようになかなかの低収量でした。

この少ない大豆をどうしたものかと、長くお取り扱いいただいているみなさまにお話して、ご希望通りにはお応えできないまますべての大豆のお届け先が決まりました。結果的に今年はオンラインストアでの一般販売は叶いませんでした。楽しみにお待ちいただいていた方には申し訳ありません。実ってくれた大豆に感謝して、次につなげたいと思います。

と、ここまでがご報告で、これから先は私の長〜いぼやきです。

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大豆は難しいです。3年目の昨年何かがすこしわかった気になって、4年目の今年何もわかっていなかったんだと気持ちを新たにしました。ゆるやかながらも、三歩進んで二歩下がるくらいの変化を感じるお米と違って、去年の豊作は何だったのか…と途方に暮れます。種まきまでの畑の管理、種まきの日程やその前後の雨と土の湿った感じ、種まきの深さ、土寄せの質やタイミング。どれも去年と同じか、すこし良くできたような手応えでしたが、秋の様相はぜんぜん違いました。稲刈りが終わってからの二週間、収穫作業に支障をきたさないよう畑の草を急いでとりつづける毎日でした。それに応じてか、収量もかなり厳しかったです。

 

今年の栽培はどんなイメージでやったらいいのか。あ〜〜、もう!大豆って…!! という気持ちです。

 

栽培も難しければ経営的にも悩ましいです。お米とは違い、大豆はそのほとんどが加工品の原料になります。一緒にがんばっている友人や仲間のような人たちが取り組むいいものづくりを、少しでもお手伝いできたらと思って続けてきました。そのために、毎年ある程度の決まった量をつくりたいと思っていて、8反(8,000㎡)ほどの作付面積を毎年調整して、平均して800キロ、理想的には1,200キロの生産を目標にしています。ただ現実はまだまだで収量は不安定です。経営だけを考えるならお米に専念したほうがいいので、例えば養鶏をおやすみする今年は大豆をやめてお米を増やすとか、しばらく縮小していくしかないのかなとも考えていました。

 

難しいポイントをつらつら書いていくと、まず圃場の条件です。禾はお米がメインなので、条件のよい田んぼではお米をつくっていて、大豆や麦は日照時間も短く獣の出入りも多い山あいになってしまいます。そもそも私が住む地域はほとんどの地目が水田で、水はけも良くない中でどうにか畑化して大豆を育てています。

 

それから設備投資です。8反というのは、手仕事でまかなえるよりはずっと多くて、本格的な農家さんよりはずっと小さいです。米や麦についても同じことが言えますが、どこまで設備投資をしていくか難しい微妙な規模です。まず、種まきをしてから2回行う土寄せ作業は小さな管理機だよりで、時間がかかるし疲弊します。田植えやその後の重要な初期除草、麦の収穫とも時期がかぶりながらも、貴重な梅雨の晴れ間をどうにか数日ずつ確保して乗り切りますが、いつもギリギリです。それから収穫、乾燥、選別などの後工程はすべて機械を借りるか委託でやっていて、自前ではありません。まわりの方々のご厚意に甘えつつも、どれも高価な仕事道具なので、大豆をほんとうに続けていくならこのままではよくありません。品種もいまはサチユタカのみです。いい大豆ですが、せっかくならお米のように在来種をいろいろ試してみたいです。ただ収量の不安定さや設備投資の難しさから、あまり深堀りができていません。

 

このままの規模を維持するためにも覚悟を決めて設備投資もしていくか、それとも1〜2反の規模で手作業を中心に小さくまとまっていくか。この冬で方向性を決めないといけないなと、ひとりでうんうん唸っていました。そんなときに、つい先日、ちょっと無理してがんばれば手が届く安価な中古機械の情報をいただいて、それで気持ちも固まって、来年からもこのままの規模でがんばろうと思い直しました。

 

大豆は大変で、だからこそなのか、お求めいただく声も大きいように感じます。そもそも大豆はこの50年ほどで生産面積は半分以下になり、いまでは国産は6〜7%しかありません。しかし大豆は自分が関わってきたものだけでも、お味噌、お醤油、お豆腐、きな粉、と日常の食卓に深く関わりのあるものです。小さくとも、毎年数人にでも数十人にでも、大豆を届けていけたらと思っています。