独立5年目を終えて
2024年01月31日
禾は2019年の3月に独立をしたので、今ちょうど5年目を終えるところです。私にとってここは大きな節目だったので、いろいろなことを振り返りながらすこし書いてみます。
5年目が区切りというのは、一つには補助金のことです。私たち、というか正確には個人事業主なので私は、認定新規就農者として補助金を毎年頂いています。それがこの5年間でした。年に2回いろいろな報告書をつくって、市役所での面談と田畑での現地面談をすること、それもひとつのルーティンでした。
(先日ちょうど10回目の面談があって、これで終わりかぁと思っていたのですが、補助金給付終了後も簡素化された報告と面談はあともう5年続くと聞いて驚きました…!)
5年前を振り返ると、それまでの私はずっと会社やNPO法人に雇われていた身だったので、農家になること以前に独立すること自体が怖かったのをよく覚えています。自分の身一つでものをつくって売って生計を立てる、何でもないような自分がそんなことを続けられるのかなと不安でした。独立人?の大先輩であるイラストレーターのアラタ・クールハンドさんが「雇われるっていうのは点滴に繋がれているようなものだから。抜くときはそりゃ怖いけど、でもそれ無しで生きられることはいいことだよね」と言っていたのを何度も思い返しました。
ちょうど同じ年には息子が産まれました。尊くて愛おしい、人生で一番大きな変化だったかもしれません。今だからもう書けますが、家族3人を自分ひとりでどうにかしなきゃと気負いながらも、独立したてということもありすべてがままならなくて、心を病んでいた時期もありました。そういうときに意外とあっけらかんとする妻にも救われました。
それから思い出すのは、お米の販売初日のこと。これは会う人会う人に妻が楽しそうに話しているおもしろネタですが、いっっっぱい注文がくるんじゃないかと思っていたのです…!なぜなら私の研修先では販売開始日にはすごいことになっていたので。だから、たくさん来る注文に応えていけるのかなって心配しながら公開ボタンを押して、でも日中何もなくて落ち込んでいたら、夜中11時過ぎに1件だけ大学の友人が買ってくれたんです。陰ながら応援してたよと言ってくれて。それから数ヶ月かけてお米は売り切れたのですが、きっと一生忘れない1件です。
前置きのつもりで書いていたものが長くなりましたが、今回一番書きたかったのは感謝の気持ちとお礼の言葉です。誰よりもまずは研修で約1年間お世話になった蒜山耕藝のゆうじさんとえりかさん。おふたりの活動がどれだけすごいのか、同じ農家という立場になってみてその思いは年々強くなります。技術的にはきっと教わったことの半分もできていませんが、農家としての心構えや姿勢のようなものはずっと心の真ん中に置いているつもりです。そして同じ農家としていえば、広島・宮島の中岡農園の悟史さんと千内さん。野菜とお米の物々交換はもちろん、毎年冬に一度だけお会いするたびにドーン!と大きな愛を頂いて、その勢いで春から秋までがんばれているような気がします。
それから市役所や農政局の方々、土地を貸してくださってる地主さんや地域の方々、農作業を手伝ってくれたり一緒にものづくりをしている友人たち、禾の農作物や加工品を扱ってくれているお店の方々、そして一緒に食べてくださっているみなさんに。それから、初めて農に触れるきっかけをくれたアジア学院のスタッフ、ボランティアやアジア・アフリカの農村に暮らす友人たちに、パーマカルチャーセンターの設楽さんと仲間たちに、ここに移り住むまえに妻と暮らしていた広島の甲奴町のみなさんに。と、どこまでも遡ってしまいそうなのでこの辺で。
自分たちがどれだけまわりの人たちに助けられているのか、そういうことがはっきりと目に見えてわかるようになる。それが独立するということなんだと思います。こう見えても根が真面目な私はできなかったことばかりを気にかけてしまいますが、私たちのような何も持たない普通の人が見知らぬ土地に移り住んで、この時代に2人の子どもを育てながら5年間も農家として続けてこれたこと。それ自体がすごいことなんだと思います。そんな感謝の気持ちを改めて言葉に残しておきたい節目でした。いつも言っていますが、いつも本当にありがとうございます。
せっかくだから、これからのこともすこしだけ
この5年間は独立前につくった計画書を見ながらの5年間でもありました。それは一つの道標としてずっと心のなかにあって、お金のこともあるから当然ではありますが、そこからは大きく変えにくいなぁという心のバリアみたいなものもありました。だからこれからのことを思うと、なんというか、開放というと大げさですが良くも悪くももっと自由だなぁと感じています。(実際には、今度は認定農業者に向けた計画書をつくるのですが、それはさておき…)。
畑のあり方を来年から大きく変えてみようとしているのも、こういうタイミングで考えられることが広がったからでもあります。東北で研究されていた立毛間栽培というもので、これができるようになったら今まで畑を3分割して毎年大豆と麦を収穫していたものが、1つでよくなります。今までの管理も不十分でしたが、もっともっと精度の高い管理が求められます。きっと毎年いろいろな失敗をするんだろうなと思いつつ、また何年もかけて技術を磨いていきたいです。
他にも新しく始めてみたいことはいろいろあって、次の春から始まる6年目は、もう一度ほんとうの意味で独立していくんだという気がしています。そして今回は、あのときのような怖さはあまりなくて、楽しみだなぁという気持ちのほうがずっと大きいです。もちろん周りのみなさまのおかげです。自然栽培の穀物と平飼い養鶏、そこが真ん中にあることはきっと変わりませんが、自分たちの生活や田畑との心地よい関わりを大切にしながら、無理なく続けられる形を模索しつづけていくんだと思います。
最後に、最近の自分は内向きになってきたなぁとよく思います。うすうす滲み出てはいそうですが、妻も私もそれほどオープンでウェルカムな性格ではありません。日常は子どもたちとわちゃわちゃして、田畑と鶏小屋を行き来するだけです。数年前から、なんという名前かはわからないけれど、自分たちは人生における一つのピークの最中にいるんだという感覚があります。だから大切なものごとに順番をつけて、それ以外のことを諦めたり、辞めたり、断ったりしています。それは正直いいことばかりではありませんが、自分はそれほど器用でもなければ心身が頑丈でないこともあり、もうこれでやれることをやるしかないんだと受け入れることにしています。歳を重ねると先が見えてくるみたいなことは、どうも良くはないことだと思っていた気がしますが、実際にはそうではないなと思いました。定まるリズムがあるからこそ、その中での工夫や喜びもあるし、そこからつくられる新しいものもあるように思います。
子どもたちに健やかな日々を送ってもらうこと、そばにいること。私たちがいいと思えるあり方で農業を続けていくこと。それ以外のことはもうほどほどに多くを望まず、そのために励んでいけたらと思います。
宮島の自然が育てる野菜と物語
2023年03月17日
先日、広島の宮島で中岡農園を営む山本ファミリー(悟史さん、千内さん、千草ちゃん)が遊びに来てくれました。山本さんの宮島野菜と、禾のお米・卵を物々交換をしていて、毎春宮島にいったり蒜山に来ていただいています。写真は昨春の宮島。美しい桜と、山本家にすっかり溶け込んでいた息子が印象的でした。
本来は一泊していただく予定が、私が風邪の病み上がりでやむなく日帰りでの滞在になりました。いつもより短い時間に私はボーッとする瞬間も多く、なんでこんなときに…!と残念でなりませんでしたが、それでも思い出深いことがたくさんあったので、書き残したいと思いました。
——
昨年の夏。一羽の鶏が卵を温めているのを妻が見つけて、どうなるんだろうと実験的に見守っていたところ6羽の雛が産まれました。1年ぶりの雛たちは本当にかわいくて家族みんなで大はしゃぎでした。ただ我が家の養鶏サイクルでは難しいこともあり、前々から鶏を飼いたいとお話されていた山本家に引き取っていただきました。2週間の短い夏の思い出でした。
あれから半年が経ち、我が家では鶏をみんな絞めて、たくさん残しておいた卵もちょうど無くなった頃、宮島に移り住んだ鶏たちは産卵をはじめていました。山本さんが持ってきてくれたその卵を見たとき、すごく不思議な気持ちになりました。終わったはずの命が、自分たちには見えていなかったところで続いていて、なんというか命の境界線の曖昧さみたいなものを感じました。はじめましてとおかえりを一緒に言いたくなりました。
そしてもう一つ。数年前、山本さんがお客さんに禾のお米をおすそ分けしてくれていました。その方はそのお米をすごく気に入ってくれて、それから産まれたお子さんの名前に「禾」の字をつかってくださったそうです。「私たちも最近それを知ったんよ〜」と笑顔で教えてもらったとき、私はちょっと言葉に詰まりました。うれしい気持ちと畏れ多いような気持ちになって、どう答えたらいいのかわからなくなりました。
それから数日間このことを考えていて思ったことがあります。私は、自分なんてほんとにまだまだなんです、という表現をよく口にしていました。謙虚とかではなくて実際にそう感じるし、周りから見ても実際そうだと思うんです。でも、そういうのはもうやめなきゃいけないような気がしました。現実がどうあれせめて姿勢だけでも、背筋を伸ばして凛としていなきゃいけない。いつか会えたときその子に恥ずかしくない農家でありたいと思ったことを、こうして書き残しておきます。
——
2年前につくった冊子『ぼくたちは夏に味噌をつくる』にも記した通り、藤原みそこうじ店さんと始めた「はじまりの味噌」という取り組みも、そのきっかけは山本さんでした。農家としても人としても私から見れば大先輩ですが、いつもいつも、あっちゃんはすごい、りょうくんはすごい、と私たちの存在をまるっと包み込んで背中を押してくれます。一緒に過ごせる時間は短くても、節目節目でたくさんの小さな感動を共有している家族のような感覚があります。また来年会えるのを楽しみに、一年のはじまりを告げる春の一日でした。
そんな大好きな中岡農園さんが最近また野菜の定期便枠を募集されるそうです。ぜひご覧になってくださいね。
豊かな山や森をつくるには
2022年12月10日
豊かな山や森をつくるにはどうしたらいいのかなぁと、ぼんやり考えています。
蒜山は標高500メートル前後のいわゆる中山間地域です。ここで農業をしていると周りの環境が気になってきます。川の水をひいて田んぼに入れるし、山からの湧き水を鶏たちは飲んでいます。森を吹き抜ける風が通り、菌や虫たち、動植物たちもたくさんいます。田んぼや畑はそれだけで完結するのではなく、大きな自然環境の一部であるといつも感じます。
そうして周りの山を見渡すと、植林された針葉樹林が目立ち、ナラ枯れなのか赤黒く染まった木や台風による倒木、笹が繁茂したり藪化した場所も多く、なんともいえない空気の淀みを感じたりします。今年は鹿や猪もよく田畑に入っていました。
6年前広島でお借りしていた家に、明治時代の写真が一枚残っていました。それを見たときに思ったのは、裏山がすごく遠くに見えるなぁということでした。当時はそれだけ人が山に入っていて、今では山が迫ってきているんだと思いました。同じようにこの蒜山も水がきれいで豊かな場所だとは感じるけれど、かつてはぜんぜん違った距離感で山に接していたんだろうと想像できます。昔がすべて素晴らしいとは思わないけど、もっと多くの人の手が入っていたという里山から学ぶこともありそうです。
私がいいなと思う姿は、水を豊かに蓄えられて、野の生きものたちが暮らせて(願わくば鹿も猪も少しだけ落ち着いてもらえる)、そんな山や森です。冬には雪が降りつもる地域で、春から秋は農作業に追われる日々で、そもそも自分の山ですらない中で、素人が長い時間をかけてゆっくりとでも関わっていく方法はあるのかな、と。冬になるとそんなことを考えてしまいます。