今年のもち米と来年のお餅

2023年03月05日

先日、お取り扱い販売店さんに最後の発送をして、今季のお餅の販売が終わりました。ノートを読み返すと昨年の5倍ものお餅をつくりお届けしてきました。びっくりです!手にとってくださったみなさま、お店のみなさま、そしてお餅をつくってくれたのぎ屋の田村家にも心から感謝です。私たちも冷凍庫にストックを用意できたので来年の冬まで安心です。

 

そして、もうひとつ。お餅シーズンを終えたこれからは、もち米の使用量が減っていきます。これからもきちんと管理して販売を続けますが、昨年の感覚だとすべて売り切れることはなさそうだなと考えています。

 

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実は禾として農作物が次の収穫まで(きっと)売れ残るのは初めてのことです。ありがたいことに毎年たくさんの方に支えられ、すべての農作物をお届けしてこれました。私のふわっとした感覚の話ですが、生産力の伸びとお届けしていける力の伸びとが今までは不思議とバランスがとれていましたが、4年目の今年は生産力がグッと伸びたのです。

 

いつかこういうときも来るだろうとは想像していましたが、いざ直面するとなかなか複雑な気持ちです。販売という観点では売れ残ってしまうだろうことはやっぱり悲しいし、お米にも申し訳ないです。一方で生産量が増えたことは純粋にうれしいし、今まではずっと無くなってしまってすみませんとお伝えしていたので、なんだかやりきったような感覚もあります。

 

そんな両極端の想いが頭の中をぐるぐると巡りつづけ、それで、ふと思ったのです。そもそも古米って良くないんだっけ?古米でつくったお餅っておいしくないのかな?と。うるち米についていうと、実は秋から冬にかけて我が家の食卓では古米が中心になります。年間購入用にそれなりの余裕をもってお米を残しているので、秋の新米を何度か味見してからは、その残ったお米を食べています。ササニシキの古米はなんというか、しみじみとした慈悲深さを感じて、個人的にはけっこう好きな味わいです。だからもしかしたら古米でつくったお餅も、これはこれでいい!となるかもしれません。これこそがアウフヘーベン!(?)と、思い立ってから気持ちが楽になりました。

 

今年も小さな面積でもち米をつくるので、新米のお餅か古米のお餅か、きちんと選んでいただける工夫を考えられたらと思っています。秋までは時間があるので、もしかしたらこれからたくさんご要望があって無くなるかもしれません。それはそれでやっぱりうれしいです。でも、そうでないならないなりに、まっすぐ向き合って、素直に正直に、楽しく豊かな気持ちでご提案ができたらいいなという心の表明です。

 

 

写真/藤田和俊

玄米煎餅ができました

2023年02月20日

今年もこのご紹介ができること、ほんとうにうれしく思います。

禾が扱うものできっと一番人気の玄米煎餅。こればっかりは、お待たせしました…!という言葉が自然に口から出てきます。私も一年間ずっと楽しみにしていました。

東京・足立にある日比谷米菓さんが焼いてくださるお煎餅。原料にお米は変わらず禾の亀の尾を、お醤油は今年からは日常的に愛用している福岡・糸島のミツル醤油醸造元さんの生成りをたっぷりとつかわせていただいた、ただそれだけの素朴ないいお煎餅です。

そして今年は大変心苦しいのですが値上げをさせていただきました(税抜600円→700円)。原材料の変更や加工賃の値上げ等が理由です。これからもいいと思うものをつくっていけるよう励みますので、どうぞご理解いただけますと幸いです。

お買い求めはオンラインストアから、どうぞよろしくお願いします。

 

 

さて、ここから先はぼやきです。よかったらどうぞお付き合いください。

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昨年の11月。今年もぜひお願いしますと職人さんに電話したとき、体調を崩してしまってもうできないかもしれないと言われました。幸い年明けには回復・再開されて、そのタイミングでお願いできました。その間2ヶ月ほど、一年前初めてつくってもらったときのことを何度も思い出しました。「おれももう年だからいつまでできるかわからないんですけどもね」と言われて、「いやいや〜そんなそんな。ずっとお願いしますよ!」と何も考えずに答えていた自分がいました。私にはどうすることもできないけれど、その言葉をほんとうには受け止めていなかったことを後悔しました。

 

農家として独立してから、つくり手がわかるものへの愛着や尊敬の念をつよく抱くようになりました。ひとりの個人や小さな組織がもつ技術、信念や生き様の結果としてうまれてくるものに、大げさかもしれないけど、魂のようなものが宿っていると感じるようになりました。でもそのすごさは同時に、顔の見えるあの人になにかあれば、あるいは気持ちが薄れたり移ろったりしたらもうそれでおわりなんだという、小ささや儚さと表裏一体なんだと身をもって理解しました。

 

先週お電話したとき、「売れ行き次第なんですが今年は夏頃にもう一回仕込みをお願いしたいんです」と伝えると、「約束はできないけど体が動かなくなるまではずっとつくってますから、また連絡してください!」と言われました。笑いながら、でも力強く言ってくれた言葉を今度はしっかり噛み締めながら、いろいろな願いを込めて保冷庫の手前のほうにお米を残してあります。もちろん自分だってどうなるかはわからないから、大切なものをちゃんと大切に、そうやって仕事をして生きていかなきゃいけないなと思いました。

他の命に生かされているということ

2023年02月01日

1月中旬、今までたまごをたくさん産んでくれていた鶏たちは、岡山市内の食鳥処理施設にてお肉になりました。2月からお肉の販売も始めましたので、よければオンラインストアをのぞいてみてくださいね。

私の体調のことや息子の世話もあり、当日の鶏の運搬と屠殺の立ち会いは夫が一人でしてくれました。私が関われたのは、鶏たちを捕まえてカゴに詰める作業。それだけでも、うっと込み上げる思いがありました。ありがとうという気持ちと申し訳ない気持ち。生き物の命を奪うことの罪悪感と、その命があってこそ私も生かされているという事実。自分ではじめた事業ですが、この瞬間はできれば見たくないものです。

 

思えば、初めて鶏のそんな場面に出会ったのは私が20歳の時、大学2年生の夏休みです。私は栃木県那須塩原市にあるアジア学院という学校法人に1ヶ月ほど滞在し、さまざまな国からやってきた人々と共同生活を送りながら農作業のお手伝いをしていました。アジア学院は、アジアやアフリカの農村地域から研修生を募集し、多国籍なメンバーで共同生活を送りながら農村指導者を養成するというNGOのような学校です。私は国際協力や農村開発に興味があってアジア学院に行ってみたのですが、農作業や家畜の世話は未経験ですし、その大変さも全くわかっていませんでした。

ここでは野菜やお米をはじめ、学校内での食事はほぼ自給自足。たまごや肉、乳を提供してくれる、鶏・豚・牛・やぎなどの家畜たちがいました。毎日朝夕、みんなで畑や家畜の世話をし、日中は授業があったり、まとまった農作業をしたり、調理や食品加工をするなど、それぞれの担当部門で仕事をしています。私は小さい頃から動物が大の苦手だったので、家畜の世話なんてとてもできません。鶏の世話をする時も鶏舎の中には入らないようにと、中の作業は他のメンバーに任せっきりでした。そんな暮らしの中で、鶏の屠殺にも参加させてもらったのです。

屠殺の場面でももちろん及び腰です。スタッフの配慮もあって参加も見学も自由でしたので、そっと影から見ているだけで十分だと思っていました。それでもいざその場面になると、なんだかとても大切なことのような気がして、勇気を出して鶏を抱いてみました。そしてそのまま、首を切る作業も自分でやってみたのです。

首を切って、逆さに吊るして血を抜いて、毛をむしって。。。だんだんとよく見る鶏肉の姿になっていきます。さっきまで自分で動き回っていたのに。この時の衝撃は今でも忘れられませんし、この時の気持ちは今でも表現しようがないほどよくわかりません。ただ、ガーナから来たスタッフ、ティモさんの言葉と私の中の決意はずっと残っています。

「鶏は毎日たまごを産むことで私たちの命を支え、死んでからも私たちのためにその身を捧げている。この鶏の犠牲によってもらった命をどう生かすか、どう自分は生きていくかをぜひ考えてほしい。」

この言葉を受けて、なんだか投げやりに生きていて、生きるのってめんどくさいと思っていた自分は、今までずっと他の命の犠牲のもとに生かされてたんだと初めて実感し、他の命を無駄にしないためにも自分は自分で何かをしないと、ということを心に決めました。

 

その後、仕事も住む場所も転々としましたが、今こうして鶏と関わっているのは、やっぱりこの時の経験がきっかけです。本当はこんな命の生々しさを見ずに暮らしていきたい、というのが本音です。でも、ティモさんや他のアジアやアフリカから来た学生たちのように、生きものと日常的に触れ合って命の生々しさを知っている彼らの逞しさや優しさ、あっけらかんとした明るさになんだか憧れもあるのです。日本の若者にこんな情緒的な話をしながら、一方で鶏をためらいなく手際よく捌き、笑顔でその肉を食べる(しかも硬い硬いと文句を言いながら!)、その姿が私はとてもかっこいいと思っています。

だから私も、命の大切さや他の命に生かされていることの尊さ、そんなことを話したり書いたりしつつ、明るい気持ちでかっこよくその命をいただけるようになりたいのです。今回お肉として販売できるようにといろいろな設備や準備を整えようと思ったのも、たまごと肉は表裏一体であることを目に見える形にしたかったからです。ただ、今はやっぱりどこかに申し訳なさは拭えず、今回自家消費分でも自分の手で絞めることはできませんでした。ほんとうにまだまだですが、いつかきっと、彼らのような強さに近づけたらと願っています。

ちなみに余談ですが、この20歳の時の屠殺体験以降、動物に触れられるようになりました!今では鶏も猫も犬も大丈夫ですし、みんな大好きです。

 

近藤温子

 

 

写真/藤田和俊