玄米煎餅ができました
今年もこのご紹介ができること、ほんとうにうれしく思います。
禾が扱うものできっと一番人気の玄米煎餅。こればっかりは、お待たせしました…!という言葉が自然に口から出てきます。私も一年間ずっと楽しみにしていました。
東京・足立にある日比谷米菓さんが焼いてくださるお煎餅。原料にお米は変わらず禾の亀の尾を、お醤油は今年からは日常的に愛用している福岡・糸島のミツル醤油醸造元さんの生成りをたっぷりとつかわせていただいた、ただそれだけの素朴ないいお煎餅です。
そして今年は大変心苦しいのですが値上げをさせていただきました(税抜600円→700円)。原材料の変更や加工賃の値上げ等が理由です。これからもいいと思うものをつくっていけるよう励みますので、どうぞご理解いただけますと幸いです。
お買い求めはオンラインストアから、どうぞよろしくお願いします。
さて、ここから先はぼやきです。よかったらどうぞお付き合いください。
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昨年の11月。今年もぜひお願いしますと職人さんに電話したとき、体調を崩してしまってもうできないかもしれないと言われました。幸い年明けには回復・再開されて、そのタイミングでお願いできました。その間2ヶ月ほど、一年前初めてつくってもらったときのことを何度も思い出しました。「おれももう年だからいつまでできるかわからないんですけどもね」と言われて、「いやいや〜そんなそんな。ずっとお願いしますよ!」と何も考えずに答えていた自分がいました。私にはどうすることもできないけれど、その言葉をほんとうには受け止めていなかったことを後悔しました。
農家として独立してから、つくり手がわかるものへの愛着や尊敬の念をつよく抱くようになりました。ひとりの個人や小さな組織がもつ技術、信念や生き様の結果としてうまれてくるものに、大げさかもしれないけど、魂のようなものが宿っていると感じるようになりました。でもそのすごさは同時に、顔の見えるあの人になにかあれば、あるいは気持ちが薄れたり移ろったりしたらもうそれでおわりなんだという、小ささや儚さと表裏一体なんだと身をもって理解しました。
先週お電話したとき、「売れ行き次第なんですが今年は夏頃にもう一回仕込みをお願いしたいんです」と伝えると、「約束はできないけど体が動かなくなるまではずっとつくってますから、また連絡してください!」と言われました。笑いながら、でも力強く言ってくれた言葉を今度はしっかり噛み締めながら、いろいろな願いを込めて保冷庫の手前のほうにお米を残してあります。もちろん自分だってどうなるかはわからないから、大切なものをちゃんと大切に、そうやって仕事をして生きていかなきゃいけないなと思いました。
他の命に生かされているということ
2023年02月01日
1月中旬、今までたまごをたくさん産んでくれていた鶏たちは、岡山市内の食鳥処理施設にてお肉になりました。2月からお肉の販売も始めましたので、よければオンラインストアをのぞいてみてくださいね。
私の体調のことや息子の世話もあり、当日の鶏の運搬と屠殺の立ち会いは夫が一人でしてくれました。私が関われたのは、鶏たちを捕まえてカゴに詰める作業。それだけでも、うっと込み上げる思いがありました。ありがとうという気持ちと申し訳ない気持ち。生き物の命を奪うことの罪悪感と、その命があってこそ私も生かされているという事実。自分ではじめた事業ですが、この瞬間はできれば見たくないものです。
思えば、初めて鶏のそんな場面に出会ったのは私が20歳の時、大学2年生の夏休みです。私は栃木県那須塩原市にあるアジア学院という学校法人に1ヶ月ほど滞在し、さまざまな国からやってきた人々と共同生活を送りながら農作業のお手伝いをしていました。アジア学院は、アジアやアフリカの農村地域から研修生を募集し、多国籍なメンバーで共同生活を送りながら農村指導者を養成するというNGOのような学校です。私は国際協力や農村開発に興味があってアジア学院に行ってみたのですが、農作業や家畜の世話は未経験ですし、その大変さも全くわかっていませんでした。
ここでは野菜やお米をはじめ、学校内での食事はほぼ自給自足。たまごや肉、乳を提供してくれる、鶏・豚・牛・やぎなどの家畜たちがいました。毎日朝夕、みんなで畑や家畜の世話をし、日中は授業があったり、まとまった農作業をしたり、調理や食品加工をするなど、それぞれの担当部門で仕事をしています。私は小さい頃から動物が大の苦手だったので、家畜の世話なんてとてもできません。鶏の世話をする時も鶏舎の中には入らないようにと、中の作業は他のメンバーに任せっきりでした。そんな暮らしの中で、鶏の屠殺にも参加させてもらったのです。
屠殺の場面でももちろん及び腰です。スタッフの配慮もあって参加も見学も自由でしたので、そっと影から見ているだけで十分だと思っていました。それでもいざその場面になると、なんだかとても大切なことのような気がして、勇気を出して鶏を抱いてみました。そしてそのまま、首を切る作業も自分でやってみたのです。
首を切って、逆さに吊るして血を抜いて、毛をむしって。。。だんだんとよく見る鶏肉の姿になっていきます。さっきまで自分で動き回っていたのに。この時の衝撃は今でも忘れられませんし、この時の気持ちは今でも表現しようがないほどよくわかりません。ただ、ガーナから来たスタッフ、ティモさんの言葉と私の中の決意はずっと残っています。
「鶏は毎日たまごを産むことで私たちの命を支え、死んでからも私たちのためにその身を捧げている。この鶏の犠牲によってもらった命をどう生かすか、どう自分は生きていくかをぜひ考えてほしい。」
この言葉を受けて、なんだか投げやりに生きていて、生きるのってめんどくさいと思っていた自分は、今までずっと他の命の犠牲のもとに生かされてたんだと初めて実感し、他の命を無駄にしないためにも自分は自分で何かをしないと、ということを心に決めました。
その後、仕事も住む場所も転々としましたが、今こうして鶏と関わっているのは、やっぱりこの時の経験がきっかけです。本当はこんな命の生々しさを見ずに暮らしていきたい、というのが本音です。でも、ティモさんや他のアジアやアフリカから来た学生たちのように、生きものと日常的に触れ合って命の生々しさを知っている彼らの逞しさや優しさ、あっけらかんとした明るさになんだか憧れもあるのです。日本の若者にこんな情緒的な話をしながら、一方で鶏をためらいなく手際よく捌き、笑顔でその肉を食べる(しかも硬い硬いと文句を言いながら!)、その姿が私はとてもかっこいいと思っています。
だから私も、命の大切さや他の命に生かされていることの尊さ、そんなことを話したり書いたりしつつ、明るい気持ちでかっこよくその命をいただけるようになりたいのです。今回お肉として販売できるようにといろいろな設備や準備を整えようと思ったのも、たまごと肉は表裏一体であることを目に見える形にしたかったからです。ただ、今はやっぱりどこかに申し訳なさは拭えず、今回自家消費分でも自分の手で絞めることはできませんでした。ほんとうにまだまだですが、いつかきっと、彼らのような強さに近づけたらと願っています。
ちなみに余談ですが、この20歳の時の屠殺体験以降、動物に触れられるようになりました!今では鶏も猫も犬も大丈夫ですし、みんな大好きです。
近藤温子
写真/藤田和俊
お米の年間購入のお届けについて思うこと
2023年01月13日
1月。お米の年間購入をいただいている方々に向けて3回目のお届けを終えたところです。
今年、個人的には大きな挑戦をしました。それは発送するタイミングやお米の量、それから各月ごとの玄米と白米の選択も柔軟にしてみたことです。
それまでは「玄米か白米を5キロ毎月発送」と決めていました。これは在庫の管理、配送料、米袋の大きさや発送作業を考えてのことでした。ただこれだと量が多かったり少なかったりと、いろいろな声を頂いていました。それで個別にご相談いただいた方には量や発送頻度を調整してお届けしていました。
各ご家庭ごとに異なる食卓事情に細やかに寄り添っていきたい気持ちと、発送や管理作業をシンプルにしてなるべく田畑に向き合いたい気持ちと、どちらも嘘ではなく、どうしたものかなと悩んでいました。
ただ、長らくお米を食べてくれていた古い友人から、実はお米がけっこう残っていたという話を聞きました。言ってもらえれば止めていたのに…と思いつつ、とても申し訳ない気持ちになりました。初めからそういう話で買ってもらったんだよねと言えばそのとおりですが、食べてくださっている方を困らせてしまっては本末転倒です。それに全員が全員、わたしに声をかけてくれるわけではないんだと改めて気が付きました。
そんな経緯から、今回は気持ちを新たに、お申込みいただいた全員に事前にお伝えしようと決めたのでした。
実際3ヶ月やってみて、発送のパターンが多いので正直なところ大変は大変です。間違えていないことをただ祈ります。でも、これをやってよかったと今は思っています。
理由は2つあって、1つ目は誰かに無理をさせてしまっているのではという不安がなくなったことです。毎月5キロのお米は、少ないよと思う人には他でも買ってもらう必要があるし、多いよという人には余って困るだろうし毎月くること自体がプレッシャーにもなります。自分も定期購入しているものを食べ切れていなかったとき、あぁもう次が来ちゃった…と感じることは正直あります。はっきりと言われることがあまりないからこそ、みなさん大丈夫かなと心配になります。今回改めて全員に呼びかけてみて、量を減らしたり、時期をずらしたり、隔月まとめて発送にしたり、いろいろなご希望を頂きました。これを聞けてほんとうによかったと思いました。いまは心置きなくお届けできます。
そして2つ目は、ここに生活を感じられることです。オンラインストアでの販売を中心にしている私たちにとって、誰がどうして選んでくださったのか、どんな風に召し上がっていただいているのか、それを知る機会はほとんどありません。でも今回のお声がけをしてみて、これこれこうだから、こうしたいんですといったご要望を聞くことができて、純粋に、あぁそうなんだと思いました。毎月お送りする量が人によって違うことで、一つひとつの食卓に向かって自分のお米が確かに届いているんだなぁと。より実感を持てるようになりました。
とは言いつつ、このどちらも、つくり手のエゴのようなものですよね。食べてもらっている、ほんとうはそれだけで十分ありがたいことです。そこから更に安心感とか充実感とか、そういう人の温かさまで頂いているんだなと思います。