今季の大豆販売について
2023年01月04日
昨秋収穫した大豆がようやく乾燥と調整を終えました。想像していたようになかなかの低収量でした。
この少ない大豆をどうしたものかと、長くお取り扱いいただいているみなさまにお話して、ご希望通りにはお応えできないまますべての大豆のお届け先が決まりました。結果的に今年はオンラインストアでの一般販売は叶いませんでした。楽しみにお待ちいただいていた方には申し訳ありません。実ってくれた大豆に感謝して、次につなげたいと思います。
と、ここまでがご報告で、これから先は私の長〜いぼやきです。
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大豆は難しいです。3年目の昨年何かがすこしわかった気になって、4年目の今年何もわかっていなかったんだと気持ちを新たにしました。ゆるやかながらも、三歩進んで二歩下がるくらいの変化を感じるお米と違って、去年の豊作は何だったのか…と途方に暮れます。種まきまでの畑の管理、種まきの日程やその前後の雨と土の湿った感じ、種まきの深さ、土寄せの質やタイミング。どれも去年と同じか、すこし良くできたような手応えでしたが、秋の様相はぜんぜん違いました。稲刈りが終わってからの二週間、収穫作業に支障をきたさないよう畑の草を急いでとりつづける毎日でした。それに応じてか、収量もかなり厳しかったです。
今年の栽培はどんなイメージでやったらいいのか。あ〜〜、もう!大豆って…!! という気持ちです。
栽培も難しければ経営的にも悩ましいです。お米とは違い、大豆はそのほとんどが加工品の原料になります。一緒にがんばっている友人や仲間のような人たちが取り組むいいものづくりを、少しでもお手伝いできたらと思って続けてきました。そのために、毎年ある程度の決まった量をつくりたいと思っていて、8反(8,000㎡)ほどの作付面積を毎年調整して、平均して800キロ、理想的には1,200キロの生産を目標にしています。ただ現実はまだまだで収量は不安定です。経営だけを考えるならお米に専念したほうがいいので、例えば養鶏をおやすみする今年は大豆をやめてお米を増やすとか、しばらく縮小していくしかないのかなとも考えていました。
難しいポイントをつらつら書いていくと、まず圃場の条件です。禾はお米がメインなので、条件のよい田んぼではお米をつくっていて、大豆や麦は日照時間も短く獣の出入りも多い山あいになってしまいます。そもそも私が住む地域はほとんどの地目が水田で、水はけも良くない中でどうにか畑化して大豆を育てています。
それから設備投資です。8反というのは、手仕事でまかなえるよりはずっと多くて、本格的な農家さんよりはずっと小さいです。米や麦についても同じことが言えますが、どこまで設備投資をしていくか難しい微妙な規模です。まず、種まきをしてから2回行う土寄せ作業は小さな管理機だよりで、時間がかかるし疲弊します。田植えやその後の重要な初期除草、麦の収穫とも時期がかぶりながらも、貴重な梅雨の晴れ間をどうにか数日ずつ確保して乗り切りますが、いつもギリギリです。それから収穫、乾燥、選別などの後工程はすべて機械を借りるか委託でやっていて、自前ではありません。まわりの方々のご厚意に甘えつつも、どれも高価な仕事道具なので、大豆をほんとうに続けていくならこのままではよくありません。品種もいまはサチユタカのみです。いい大豆ですが、せっかくならお米のように在来種をいろいろ試してみたいです。ただ収量の不安定さや設備投資の難しさから、あまり深堀りができていません。
このままの規模を維持するためにも覚悟を決めて設備投資もしていくか、それとも1〜2反の規模で手作業を中心に小さくまとまっていくか。この冬で方向性を決めないといけないなと、ひとりでうんうん唸っていました。そんなときに、つい先日、ちょっと無理してがんばれば手が届く安価な中古機械の情報をいただいて、それで気持ちも固まって、来年からもこのままの規模でがんばろうと思い直しました。
大豆は大変で、だからこそなのか、お求めいただく声も大きいように感じます。そもそも大豆はこの50年ほどで生産面積は半分以下になり、いまでは国産は6〜7%しかありません。しかし大豆は自分が関わってきたものだけでも、お味噌、お醤油、お豆腐、きな粉、と日常の食卓に深く関わりのあるものです。小さくとも、毎年数人にでも数十人にでも、大豆を届けていけたらと思っています。
禾の養鶏部門、しばらくおやすみします。
2022年12月15日
来年1月に今いる鶏を屠殺し、禾の養鶏部門はしばらくおやすみとすることにしました。
定期便のお届けは12月いっぱいとし、1月の屠殺の日までのたまごの販売はオンラインショップでの個別販売とする予定です。定期便でご購入いただいていた方にも、個別販売で買っていただいていた方にも、冬の間は産卵が少なくなりますが春には産卵数が増える見込みであるとお伝えしていたのに、突然、鶏を屠殺します!というお知らせになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
この決断をするまでに、かなり長い期間悩んでいました。
1番の理由は、現在私が第二子を妊娠中であるためです。出産予定日は4月で、幸い妊娠の経過は順調です。妊娠がわかってから、鶏の飼育について継続が可能かどうか、夫とも何度も話し合い、私自身もずっとそのことばかり考える日々でした。ある時には、こうすれば続けられそう!と前向きな気持ちになったり、またある時には、あああ、やっぱり無理だよ‥と絶望的な気持ちになったり。直接お会いする人には、毎回言ってることころころ変わるな~と思われていたと思います。
ただ、決断の締め切りは12月まで、とうっすら考えていました。やめるにしても、継続するにしても、諸々の準備を出産までに終えるにはそこで決めないと間に合わないからです。
そして最近、夫と喧嘩しました!継続のつもりで徐々に夫に仕事の引き継ぎをしようと思っている私と、引き継ぐ気持ちはあっても穀物部門の仕事もしなきゃいけない夫。もっと積極的に鶏の仕事やってよ!という私と、私と全く同じようにはできないよ!という夫。私自身は日に日に膨らんでくるお腹や体調の変化に焦っていた一方、夫は農繁期の作業は終わったとはいえ、お米やお餅の販売に忙しく、すでに鶏のエサ作りも一人でやってくれていましたし、動けない私に代わって息子とよく遊んでくれていて、いっぱいいっぱいでした。そんな余裕のない二人でぶつかってしまいました。
そんな喧嘩をしてわかったのですが、私はこの事業を誰にも引き継ぎたくなかったのです。
2021年の春から飼い始めた100羽の雛たち。養鶏としてはとても小規模ですが、自給用とは勝手が違い、それなりの数の命を前にある種の緊張感を感じながら育ててきました。寒くないかな、暑くないかな、元気かなどうかなと日々観察しても、死んでしまった鶏もいます。獣に襲われた鶏もいます。たまごの販売を始めるのも手探りでした。割れないかなと不安になりつつ発送を始め、パズルのような定期便の仕組みを作りました。たまごが余ることも、欲しいという声にお応えできないこともありました。
そして、産卵開始から1年経ってさらに難しくなってきました。産卵をメインとする鶏は、産卵開始から1年の間にたまごの量も多く、質もいいものを産むように作出されています。つまり、1年過ぎると量も質も落ちてくるのです。そこで、もっとよく産むようにと対策をする人もいますし、屠殺して次の雛を飼う人もいます。私の場合は、試しに産卵から2年は飼ってみて、その結果をもとに今後決めていこうと考えていました。たまごの量が減ってもある分を売ればいい、殻の質は餌の配合を工夫してやってみようと。経営的な側面は置いておいて、実験のつもりで続けてみたいと考えいたんです。しかし、産卵開始から1年3ヶ月の今、その実験の難しさをすでに感じるようになりました。たまごの数が少ないのは季節の影響もあってあまり気にしていないのですが、殻の質の維持がとても難しくなってきました。殻が少々悪くても味は美味しい、と言ってくれる方もいます(ありがたいです!泣)が、販売は発送がメインなので殻が少し薄かったり大き過ぎると到着時に割れてしまいます。割れてしまっては商品にはなりません。
餌の配合でよくなったり、もとに戻ったりを繰り返す日々。それはそれで学びもあって面白いですし、春になったらまた変わるかもしれない、どうなんだろう、気になる!ああ、これはもはやプロジェクトエーーーーックス!
と、今は楽しんではいるのですが、出産を控えている私はその実験を見届けることができません。特に思い入れのある最初の鶏たちの変化を見届けられないことに悔しさを感じていました。夫に引き継ぐにしても、難易度が高くて見通しが効かないこの仕事をどう引き継げばいいのか私自身もわからなかったのです。そんな思いに気づき、やはり一旦終わりにして、このプロジェクトxはまたできる時に自分でやろうと決めました。
そもそも、いつ鶏に引退勧告を出すのかというのは養鶏をやっている以上、毎回悩むことなんだと思います。今回はたまたま妊娠出産がやってきて、そのタイミングがほぼ自動的に決まりました。特に最初はなかなか決断できないので、むしろほぼ強制的に決まってよかったのかもしれません。次に雛を飼うときもきっとぎりぎりまで悩むし、正解なんてわからないんだろうなと思います。それでも、きっといつかは私なりの、禾なりの形が見えてくるはず。そう信じて、晴れやかな気持ちで、彼らにお別れを告げようと思います。
今後の養鶏部門の再開時期は未定です。お腹の子が無事に生まれて、いつかの春にまた雛から飼い始めたいと思います。唐突に鶏を飼います!と言い始めた私を支えてくれた、家族、友人、近隣の方、右往左往しながら始めたたまごの販売を買い支えてくださった方、お世話になった全ての方に感謝を込めて。
近藤温子
豊かな山や森をつくるには
2022年12月10日
豊かな山や森をつくるにはどうしたらいいのかなぁと、ぼんやり考えています。
蒜山は標高500メートル前後のいわゆる中山間地域です。ここで農業をしていると周りの環境が気になってきます。川の水をひいて田んぼに入れるし、山からの湧き水を鶏たちは飲んでいます。森を吹き抜ける風が通り、菌や虫たち、動植物たちもたくさんいます。田んぼや畑はそれだけで完結するのではなく、大きな自然環境の一部であるといつも感じます。
そうして周りの山を見渡すと、植林された針葉樹林が目立ち、ナラ枯れなのか赤黒く染まった木や台風による倒木、笹が繁茂したり藪化した場所も多く、なんともいえない空気の淀みを感じたりします。今年は鹿や猪もよく田畑に入っていました。
6年前広島でお借りしていた家に、明治時代の写真が一枚残っていました。それを見たときに思ったのは、裏山がすごく遠くに見えるなぁということでした。当時はそれだけ人が山に入っていて、今では山が迫ってきているんだと思いました。同じようにこの蒜山も水がきれいで豊かな場所だとは感じるけれど、かつてはぜんぜん違った距離感で山に接していたんだろうと想像できます。昔がすべて素晴らしいとは思わないけど、もっと多くの人の手が入っていたという里山から学ぶこともありそうです。
私がいいなと思う姿は、水を豊かに蓄えられて、野の生きものたちが暮らせて(願わくば鹿も猪も少しだけ落ち着いてもらえる)、そんな山や森です。冬には雪が降りつもる地域で、春から秋は農作業に追われる日々で、そもそも自分の山ですらない中で、素人が長い時間をかけてゆっくりとでも関わっていく方法はあるのかな、と。冬になるとそんなことを考えてしまいます。