

たまご定期便「まるごとコース」始めます
2025年10月10日
一時休業していた養鶏部門を再開し、たまごの販売を始めて1年が経とうとしています。この間、たまごをご購入いただいた方、定期便をご利用いただいた方、暖かく見守ってくださった方、本当にありがとうございました。多くの方に支えられてまずは1年間たまごをお届けできたことに深く感謝しております。
そして、11月より、新しく「たまご定期便 まるごとコース」を始めます。概要は以下の通りで、まずは現在たまご定期便をご利用の方からご案内とさせていただきます。
頻度|月1回 発送日不定
数量|11月から翌年9月まで:たまご20個か30個、最終回10月:親鶏の肉(内容量未定)
価格|月々2700円(税込)
送料|地域ごとに異なります。今までのたまご20個コースと30個コースの間の送料です。
まずたまごは、鶏一羽が1ヶ月に産む量のたまごをイメージしてお届けしたいと思っています。鶏がたまごを産む量は季節によって変化があります。多くても1日に1個なので30個、少なくなると2日に1個の日も増えて20個くらいになります。そんな季節の変化を反映し、月1回、20個か30個のお届けを予定しています。ざっくりとした予定では、11月から春先までは30個、夏が過ぎて秋に向かう頃には20個になるかなと考えています。また、最終的にたまごを1年も産むと廃鶏となり、お肉となってその命をまっとうします。このお肉を年1回お届けを予定しています。こうして、たまごもお肉も含めて、まるっと鶏たちの生き様をお届けするという内容です。
基本的には、お届けのタイミングも、個数も、セット内容もお任せのまるごとコース。受け取り手にとっては、きっと不便なこともあるかと思います。それでも、鶏たちのリズムを想像できるような、自然の一部を垣間見えるような、そんな体験がお届けできたらいいなと思い、始めてみることにしました。
一方で、お届け曜日や内容についてのご希望は、できる限りお受けしたいと考えています。例えば、着日は土日がいいや平日がいい、月の前半や後半がいい、お肉はちょっと苦手なのでお肉の月もたまごがいい、などなど。あくまでみなさまの日々の暮らしに寄り添いつつ、たまごやお肉のお届けができたらと考えています。
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「まるごとコース」を始めるにあたっての経緯についてつらつらと書いてみました。
休業中に鶏舎を広くしたこともあり、休業前よりも多くの鶏を迎えての再出発でした。たまごを産み始めた昨年秋は、日々たくさん産まれるたまごに販売が追いつかず、たまごが余り気味になることも多々あり、心優しい方々にたくさん助けていただきました。再開といえども、1年目と同じように販売に苦しんだ期間を支えてくださった方々に、感謝をしてもしきれない思いでいっぱいです。気づけば多くの定期購入の方に支えられ、あくせくせずともたまごをきちんとお届けできるようになってきました。
そんな1年間を経て、改めて禾の養鶏の適正規模について見直し、次年度は少し鶏の羽数を少なくしてみることとしました。それは販売できるたまごの量に合わせてとは一概にもいえず、調達できるエサの材料の量、鶏舎のスペース、雛を育成するスペース、私たち家族の暮らしとの兼ね合いなど、総合的に考えた結果です。今後柔軟に変化していくものとは思いますが、今度は去年とは逆に、もしかしたら求めていただける量に少し足りないかもしれないという不安を少し抱えています。
そんな中、販売方法についても度々考えてきました。特に貴重な意見をいただいたのは、宮島で自然農を営む中岡農園の山本さんご家族です。野菜の販売方法をベースに、禾にとって適切なたまごの販売方法や経営について、哲学について、たくさんのご意見をいただきました。どこか価値観が似ていて、このやり方なら私は私らしく無理なく、お客様にも満足いただけるものができるかもしれないと思いました。ただ、一方で、うまく運営できるのだろうかという不安もあり、なかなか踏み出せませんでした。
そうこうしているうちに1年が経ち、いよいよたまごの数に余裕がなくなってきたここ数ヶ月で、とにかくやってみようと決心したものが、このたまご定期便「まるごとコース」です。
鶏がたまごを産む量は通年一定ではありません。季節の変化に敏感に反応する生き物であり、そのように変化できる環境にするということを私たちは重視しています。ただ、そんな変化を踏まえると、今までの定期便では、定員上限は一番少ない季節になります。1年間、確実にお届けできるたまごの量でしかお受けすることができないからです。そうすると、多く産む春先はたまごが余って販売に頭を抱えることになりますし、少なくなる季節にはたまごが足りるだろうかと不安になります。
たまごの多い春は、本来喜ぶべき時です。その期間はきっとお祭り感覚でイベントやお店で販売ができれば楽しいのかもしれません。しかし、私にはそれがちょっと苦手です。このたまごをどうしようかとつい悩んでしまいますし、春というのは農家にとってはとても忙しく、販売よりは生産に注力したい時期です。そのため、できれば多い時に多くお届けし、少ない時に少なくお届けする、というのが理想の定期便の姿になります。旬の春に頭を抱えるのではなく、定期便のみなさまと一緒に旬を喜べるように。たまごが少ない時には、少なくてどうしようと不安にならずに、たくさん産んでくれた鶏に感謝し労われるように。それがきっと私の目指す姿なのだと気づきました。そしてそれは、受け取る方にも新しい体験になるかもしれないとも感じました。
さらに話を進めると、たまごを1年も産むと廃鶏と呼ばれ屠殺されます。1年なんて早いね?!と思われるかもしれませんが、それがたまごを産む鶏が販売に最適なたまごを産む期間の一般的な寿命ですし、スーパーなどで売られている鶏肉はもっと短い数ヶ月の間に精肉されています。それに比べると1年という長さは鶏肉の食べ頃からは長すぎて、柔らかさではなく硬さが際立ってしまうのです。そのため、なかなか一般的には出回っていませんし、加工用に使われることがほとんどです。ただ、たまごを食べるその先には必ず親鶏がいますし、硬いと言っても、1年以上健康に動き回った鶏のお肉はしっかりと味がして美味しいものでもあります。1年間たまごを産み続け、最後にはその命も差し出してくれている鶏の存在がなかなか知られていないことに、少し歯痒さを感じ、この親鶏のお肉も定期便に入れてみたいと考えました。
こうして、こんな形があったらいいなと思う定期便を考えつくも、私自身、これをうまく運用できるのかちょっと自信がありません。何度考えても、これで大丈夫と思える形にならないのです。それもそのはず、私ですらよくわからない鶏のリズムだからです。もちろん今までの定期便もみなさまのご意向100パーセントでもなく、毎月決まった量を、決まった曜日に、というのはみなさまのご協力のもと成り立っていました。ただ、それは鶏のリズムではなく、私のリズムに合わせていただいていたのだと思います。私の予想がつく範囲のたまごの量を定期便としてお届けしていました。さらに、これを鶏のリズムに、となると、私自身もどう転がるのかわからないのです。それでも、それもちょっと面白そうですし、どちらにせよみなさまにご協力いただくのなら、私よりは鶏に合わせるほうが楽しいかもとも思います。結局は始めてみないとわからないということでえいやっとやってみることにしました。
そんなこんなで、なるべく1年間は変更なしでいきたいとは思いますが、今後、鶏とみなさまと私の塩梅で変わっていくこともよしと思っています。我が家はこれでも大丈夫かも!と思えたら、お付き合いいただけると嬉しいです。
近藤温子

お米の価格改定について
2025年08月19日
今回はお米の販売についてお知らせです。今秋収穫をするお米(うるち米のササニシキと亀の尾)から、価格を上げさせていただこうと思っています。
|玄米800円/kg→900円/kg
|白米900円/kg→1,000円/kg
ご負担を増やしてしまい申し訳ありません。ご家庭にあわせて、お買い求めいただく量や頻度を見直していただくなども含めてご検討いただければ幸いです。あまり直前でのお知らせではそうしたことも難しくなってしまうかと思い、すこし先のことではありますが早めにお知らせをとこのタイミングで書かせていただきました。
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この価格変更について長いあいだずっと悩んでいました。それが必要だと感じてしまうのは物価が上がり生活によりお金がかかったり、どうしても必要になる諸経費も毎年のように上がったりしているからです。そしてできればしたくないと思うのは、やはり食べていただく方へのご負担が増してしまうためです。
みなさんご存知のように、ここ最近の米価高騰以前にはわたしたちのお米は一般的なお米よりも高い価格でした。それは一般的な栽培方法に比べて基本的には収穫量が少なく、また作業量が多くなるため管理できる田んぼも増やしにくいためです(もちろん人によりけりですが、概ねそうした傾向にあるとは言っていいと考えています)。しかしそれをもってして、お前の米は都市にいる金持ち相手の商売だな、といった趣旨のことを幾度となく言われたことがあります。
そんな風に思われているんだ!という驚きと困惑で、初めのうちは何と返せばいいのかもわかりませんでした。ほとんどの場合では批判と揶揄と冗談が入り混じったようなトーンで、たわいもない会話のなかにスッと入ってくるので、そういうときのわたしはだいたいすぐには反応できず尾を引くようなモヤモヤをずっと抱えてしまいます。それでも何度か経験するうちに、心の準備もできるようになって、そういうわけではないと思っていますよとお話できるようになりました。
収入の多寡がそうであるのと同じようにお金の使い道も人それぞれです。家につかう、身につけるものにつかう、好きなものや趣味につかう、自分の学びや子どもの教育につかう、ほんとうにさまざまです。お金は手にするときもつかうときも、きっとその人らしさみたいなものがよく現れるのだと思います。
わたしたちのお米はたしかに高価であるものの、お金が余って余って仕方ありませんみたいな特別な人ではなく、食や農に対してより強い興味関心をお持ちなだけの、ふつうに働くふつうの人たちがそれぞれの理由でそれぞれに限られた生活費のなかから選んでくださっているのだと思っています。それはわたしたち自身もそうだからです。
わが家も、お米や卵など自分たちでつくっているものを除けばふつうの家庭です。穀物は農作物の収穫量がずっと不安定で、豊作の年には落ち着くけれど不作の年には一気に苦しくなるし、養鶏は子どもたちとの関係でそもそもできる年もあればできない年もあります。農家になってから、例えば貯蓄ができるほどの余裕を持てたこともありません。家は格安でお借りしているし、ほぼすべての農機具は中古をなおしなおしつかっています。
そんななかでも、食べるものに関しては特別な意識を持っています。野菜、お味噌やお醤油、お豆腐にパンに珈琲などなど、この人がつくってくれたものを食べていたいと思うものがあります。品物の安さには心から感謝をしつつも、そうではない理由で選べるものを少しずつでも選んでいくこと、それはいい生活だなと感じています。
それなのに、ただ自分たちのためにと価格を上げて、まわりの方々のご負担を増やしてしまうことを心苦しく思います。その一方で、誰かが価格を上げるという話を見るときに困ったなとか嫌だなとか、そういうことを思ったことがありませんでした。みなさん悩みに悩んだ末に、もう仕方ないという判断で値上げの決断をしている姿を見てきたからです。だからこそ自分もむしろ積極的に、値上げいいですね、これからもつくってください。という気持ちが湧くほどでした。
わたしたち禾の活動も同じように思っていただけるのか、それはわかりませんが、これからもこの営みを安定して続けていくためにどうぞご理解をいただければ幸いです。
写真は、自分たちの田んぼに入る川の水がどこからきているんだろうねと、息子と一緒に山に分け入ったときのもの。軽トラックで行けるところまで行って、そこから更に奥深く30分ほど道なき道を歩いた先に、空がぽっかりとあいて光が差し込むすこし開けたところがあります。そこは澄んだ水がちょろちょろと地面から湧き出てくる、川の出発点のひとつになっています。凛とした空気が流れているわたしの好きな場所です。

いい苗と減点方式の米づくり
2025年07月02日
今年も無事に田植えが終わりました。あぁ、よかったなぁと安堵する一方で、育苗については反省と学びの多い年でした。田んぼの状況も、自分の気持ちも日々移ろってしまうので、今をちゃんと切り取って残しておきたいと思います。
まず、その失敗。またまた芽が出なかったのです。これはわたしにはたびたびある課題で、ほんとうに苦しかった一昨年を50とすると、けっこうよかった昨年は90、今年は60くらいかなぁという感覚です。
毎年、春になるとその年の作付計画を立てます。どの田んぼでどの品種のお米を育てるか、それから品種ごとの面積を計算して、植える間隔を考えて、その田んぼを埋めるために必要な苗箱の数とそれに必要な種の量を出します。それを元にして、種の準備をして種まきをして、育苗をしていきます。といっても完全にゼロからやっていますという話ではありません。例えば今年は昨年と同じにしようと決めたので、昨年のノートを読み返しながら頭のなかでいろいろなシミュレーションをしてみて、1時間もあれば終わりです。
ちなみに、育苗をする苗箱は余剰分をつくります。失敗に備えるのと補植用にと、それなりに多くつくります。ただし、つくったり片付けたりも手間だし苗代の面積も必要になるので、いくらでも多めにというわけにもいかず、経験則的にまぁこれくらいかなという数を狙います。品種にもよりますが、いまのところは3〜4割増しで用意しています。それでもぜんぜん足りなかったのが今年でした。作付面積を減らしつつ、欠株だらけの苗箱だったので補植をかなりがんばって、どうにかこうにかできる限り田んぼを整えることができました。
昨年は比較的うまくいっていたのに今年失敗した理由は、苗代をガラッとつくりかえたからでした。
禾で育てているお米の品種はほとんどがササニシキ、すこしの亀の尾とこがねもち、そして藤原みそこうじ店さんとつくる夏のお味噌用につかう実験的な在来種です。その在来種は年によって変わりますが、基本的にはとても少量です。そしてわたしは、この地域にしてはありがたいことに大きめの田んぼが多く、この少量品種にあう小さな田んぼがありません。それで1枚の田んぼを縦に割って、川下にはこの品種、川上にはこの品種と分けて育てていました。ただ、あまり気持ちよくはありません。生育が違うのに早いほうにあわせて中干しをする必要があったり、収穫作業でも田んぼをグイグイ荒らしてしまったり、やっぱり1枚の田んぼで1品種にしたいなとずっと思っていました。
この課題がついに今年は解決できそうだと思ったのです。それが苗代でした。もともと1枚の小さな田んぼを2つに分けて、片方を育苗する苗代に、もう片方を水路から入る冷たい水を温める温水田としてつかっています。これまでの苗代は苗箱を片付けたあとに緑肥としてエンバクを育てていたので水を入れていませんでしたが、昨年からは緑肥として稲を育てています。苗代のほうに水を入れるので、温水田のほうでも稲を育てられるようになったのです。これに気がついたとき、ついに数年頭を悩ませていたパズルが解けた!みたいなうれしい感覚になりました。
それで、今年は苗代を一から作り直しました。2つに分けてある苗代と温水田のどちらにも秋まで機械が入っていけるようにと通り道をつくり、その分だけ畝が短くなるからと畝を1つ増やし、そのためには中畔を壊して新しくつくり。毎年バタバタする春をいつもよりバタバタさせながら、どうにかこうにかこんなもんだろうと仕上げた気になっていたのですが、うまくいきませんでした。
わたしの観察によると、芽が出ない基本的な理由は水不足です。苗箱と畝の接地がうまくいっておらず水を吸い上げないこと、そしてその畝が他よりも高くなっていて水があまりあたっていないこと、これらが重なると起きる問題のようです。特に前者については土が固く締まってしまうことが多々あって、例えばエンバク緑肥を初めてやった一昨年もこれが原因だったのかなと考えています。今年もその反省を活かしながら仕上げたつもりでしたが、いろいろな面で甘かったのだと思います。
それを踏まえて、こがねもちだけ種まきをやり直すことにしました。芽がきちんと出揃っている苗箱がひとつも無いほどにボロボロだったからです。ここまできたらダメで元々!という気持ちもあったので、こうやったらどうなるんだろうと気になっていた段取りで仕上げてみたのです。(ここからは細かいことで、かつ擬音ばかりの感覚的な話になります…!)。例年、ざっくりと畝をつくったあとに、草を集めて取り除いて、その後は水を入れて水平を見ながらレーキで土を引っ張って高低差をできるだけなくしていきます。それから苗箱を置く直前にはクイックレベラーという機械をつかって、土の表面を振動させてさらに平らかつトロトロに仕上げます。ただレベラーの前がレーキをかけたままだと、場所によっては土が締まっているところがあったのです。それは表面の土だけが水と混ざっていて、もう少し深いところまでは水が入っていないようなところでもあります。それで今回は、レーキのあとに鍬でザクザクとしてそこそこの深さまで土がゴロゴロッとして、かつ水と混じって泥になっている。そんな状態でレベラーをかけると、なんだかいつもよりもすごいトロトロになりました。ザクザクで土がすこし動いて高低差が出てしまったところがあったので、そこは来年への課題ですが、上から鎮圧するまでもなく苗箱を置くだけでちょっとめり込むほどになりました。
そうして育ったこがねもちがなんだかすごかったのです。芽が出揃ったのはもちろんですが、まず違うなと思ったのは色です。ずっと緑でした。禾の苗は基本的には黄色っぽい感じで、田んぼに植わってしばらくするとだんだん緑になっていく、と見えていました。それが芽が出たそばから緑で、その後もずっと緑。こんな苗は初めてでした。これまでも種まきから時間が経って田植え直前ごろにもなるとドドンと立派になる苗が緑になっていましたが、発芽直後からずっと緑でいるのは初めてでした。
それから生育速度。他よりも2週間遅れで5月中旬ごろに種まきをしたので、それだけ田植えもずれるかなと思っていたのです。5月初旬から気温がグッと上がってくるので、まるまる2週間遅れということもないかなとは期待していましたが、6月にもなるともう他を追い抜きそうな勢いがって、早く田植えしてあげなきゃ!と焦るほどでした。
それから苗の大きさ。先に書いたような田植え直前ごろにもなるとたまに見る立派な苗、そういうものは葉先が垂れてきます。それ以外の多くの苗は葉先が上にピンとしていて、田植えからすこし時間が経つと大きくなって少し垂れてきます。このこがねもちは、それなりに多くの苗がそのように葉先が垂れていました。わたしの米づくりは機械作業なので、どうしても苗箱という狭い空間で種を育てていくことになります。それなのに、総じてこのこがねもちについては、まるで初めから田んぼに植えられているかのように育苗ができた感覚になりました。
正直なことを言うと、これまでずっと「いい苗」というものがよくわかっていませんでした。そもそも農業では「苗半作」という言葉もあるくらい苗の出来を重視しています。それに米づくりに関わるあらゆる人たちが、今年はいい苗だとか、いまいちだとかそんな話をしています。今年の5月、隣の田んぼのおっちゃんが田植えをしていたときにちょうど通りがかったので、苗がバチッとできてますね〜!とわたしが(特に何も考えず適当に)声をかけると、いやいや今年はいけんわ〜と言っていました。あ、そうなんだ!(ぜんっぜんわからん…)と思っていました。
わたしの場合、そもそも発芽が課題になりがちだったので、ちゃんと芽が出てくれればそれだけでうれしい苗ありがたい苗、と思っていました。それに、いい苗を大きさというのなら時間をかければ大きくはなっていくので待てばいいだけです。大きくなっていく速さといっても、毎年種まきの日も違うし気温や天気も違うので精緻な比較もできずいまいちピンとこない、と。とにかく自分のなかに、いい苗とか目指すべき苗のようなイメージがまったくありませんでした。それが今回のこがねもちを見て初めて、あぁ、いい苗ってこういうことなのかもしれないと思いました。みなさんに伝わるかわかりませんが、けっこうな感動を抱いています。
もちろんそれで秋の結果がどうなるかはわかりませんが、とてもとても大きな発見でした。そんな発見をする前の、育苗が失敗しているとだけ思っていたときはほんとうにずっと苦しかったし、毎日毎日あーあー言っていて、隣でそれを聞かされる妻も大変だったと思います。それでもうまくいっているときには見えてこない何かが失敗からは見やすくて、きっと米づくりの収穫とは2つあるんだと思いました。たくさんの実りか、たくさんの学びか。いつかそんな気持ちで臨めるようになったら(わたしはまだまだその渦中にはできませんが)、もうどうなっても大丈夫ですね。
それから最後にもうひとつだけ。これまでわたしは人生を加点方式で捉えてきました。自分がやったこと、あったこと、それらが差異をつくっていくのだし、そこに意味が付与されていく、そんな風に考えていました。しかし今回、自分が育てる苗ってこんな姿になるんだと驚きながら、ふと先輩農家さんから聞いて大切にしていたお話を思い出しました。そしてこれは減点方式に近い考え方だったのかなと気がついたのです。
曰く、春から秋まで米づくりにはたくさんの作業工程がある。それら一つひとつを例えば100点でやっていけたとする。そうすると秋には100点のお米ができる。逆にそれぞれで、ほんのささやかでも小さなミスをする。90点だとする。それ自体は小さなものだけど、それが続いていけば90点×90点×90点…となり、秋には50点とかそこらのお米になってしまうんだよ、と。もちろん米づくりは自然と人との共同作業。人の関わり方ではどうにもならないこともあるし、その一方で失敗と思いきやよくできていることなんてこともあります。だからあくまでつくり手や技術者としての心持ちとして、長い米づくりの一つひとつをどれもほんとうに大切しないといけないよ、といった趣旨の話だったと理解しています。
どう見るか次第だと思うのでどちらでもいいのかもしれませんが、個人的にこれはこれでけっこう好きですんなりと受け入れることができました。なぜなら、それは種のポテンシャルをとても大切にしているように思えるからです。種を真ん中に置いて、ほんとうはもっと素晴らしいものになりうるんだ、種にはそんな力があるんだ、そんな強い信念のようなものがこの考えの通底には流れています。だからきっと好きなんだと思います。いつだって種がなりたいと思う姿になっていけるように、そんな気持ちをこれからも忘れずにいたいです。
というわけで、今年つくり手としてはもうとても大きな学びを得ました。それでちょっともう満足してしまっているというか、お腹いっぱいというか。そんな気持ちもあります。わたしはそれほど器の大きな人間ではないので、これ以上たくさんあっても消化できないんじゃないかなと思っています。
ただ、お米もやっぱりいただきたいので秋までがんばります。この夏の過ごし方も昨年の観察や結果も踏まえてちょっとずつ変えています。それがいいことなのかそうではないのか、それはわかりません。それでも結局これしかできないのだとも思います。いいことかそうではないことかよくわからないことを、よくわからないなぁと思いながらそれでも続けていく。そのなかに、たまに、なにかを見つけて自分を変えていく。そんな営みをやっているんだと割り切って、満ち満ちた時間を過ごしていきたいです。